2012年11月28日水曜日

いつか溺れる自由の女神


この世の終りか、水浸し

水中に没するであろう『自由の女神』。空想科学小説ではない。Owen Freeman画く


最近、アメリカ東部沿岸を襲ったハリケーン、『サンディ』(Harricane Sandy)は、天文学的な数字に上る被害を残して去った。その被害の修復と復興には、莫大な費用と才月がかかるであろう。その詳細はマスコミの報道に任せるとし、ここでは、地球的な水害に焦点を当ててみる。

地球の温暖化が叫ばれて久しいが、改善はおろか、その現象を否定する人々,あるいは否定した方が都合が良い人々が多く、事情は悪化する一方である。今回、『サンディ』の被害で水害が目立ったが、これは温暖化で北極、南極の氷がどんどん溶けて流れ出した因果関係であり、それを否定することはできない。

ニューヨーク・タイムズ紙(11月24日付け)に、ジェイムス・アトラス(James Atlas)が評論を寄せ、その冒頭で:「この類いの水害はサンディが初めてではなかった。ヴェニスのピアザ・サン・マルコ(the Piazza San Marco)が水没したこと;暴風雨『カトリナ』でニュー・オーリーンズが水浸しになったこと;2004年の津波でインドネシアの沿岸が波に洗い流されてしまったこと、昨年3月、日本の東北では地震に続く津波で原発まで破壊され放射能が垂れ流しになったこと、などなどいずれも我々の記憶に新しい。昨年のハリケーン『アイリーン(Irene)』は北上しながらアメリカ東沿岸を襲って大損害を与えたが、ニューヨークは最悪の災害から免れた。T. S.エリオット(T. S. Eliot)は著書『廃墟(The Waste Land)』の中で、[水死の恐怖(Fear death by water)]を語っている。我々は今、その現実に直面しているのだ」と書いている。

一体、この先どうなるのであろうか?誰もが心配し、一部の科学者はその予測を算出した。ニューヨーク・タイムズ紙で発表されたその報告の一部をご覧いただきたい。

次の地図は、ニューヨーク市、ロサンゼルスとその近郊、サン・ディエゴとその近郊だけ選んでみた。それぞれ「現在の水位」を0メートルとし、「次の数世紀」には、水位が7.62メートル上昇する、という前提による比較である。薄い水色部分が浸食されて水没する。
左はロング・アイランド:右はマンハッタンとブルックリン地区の拡大
ロサンゼルスとその南、北、東の郊外
サン・ディエゴとその近郊
「100年も先のことだったら、自分には関わりない」などと考えめさるな。100年先に突然7.62メートル水嵩が増えるのではない。年々絶え間なく水位が上昇するのである。言いかえれば、沿岸が次第に浸食され、住居も何もかも水中下に沈んでいくのである。
これを防ぐには、地球の温暖化を食い止めるしかないのである。編集:高橋 経

2012年11月20日火曜日

宴(うたげ)のあと


志知 均 (しち ひとし)
2012年11月

都知事選を背景にした小説「宴のあと」の終わりのところで、三島由紀夫は、政治の泥沼の中では汚濁も偽善も人間性も、遠心分離の脱水機の中に放りこまれた洗濯物のように、早い回転で見えなくなってしまう、というようなことを書いている。
選挙戦中、民主党側から出された広報ポスター

投票日直前に二ユーヨークその他の東海岸を襲ったハリケーン、サンディ(Sandy)の被害まで加わった今回の大統領選挙の印象は同じようなものであった。オバマ(Barack Obama)ロムニー(Mitt Romney)も共に数億ドルの選挙資金を消費した長い選挙戦がデッド・ヒートになった10月後半以降は、相手の誹謗と揚げ足取りをテレビのスポット広告で繰り返す泥仕合になった。オバマの勝利で終わった選挙戦の成り行きを最後までつきあってうんざりしたのは私だけではないであろう。

今回の選挙は16兆ドルを超える財政赤字をどうするか、景気回復を促進し失業率を下げるにはどうすればよいか、など経済の問題が焦点であった。2008年に初当選したオバマ大統領は政府資金でまず金融機関と自動車産業を救済した。そのあと国民健康保険制度の改正に着手したが、それの立法化に月日をかけ過ぎたため景気回復が遅れ、失業率は上昇し、政府の財政赤字は大幅に増えた。その結果、経済問題を処理するオバマの能力に不満をもった国民は、2010年の中間選挙で共和党議員を多数下院へ選出した。その後も大統領選挙の投票日までGNP(Gross National Product: 国民総生産)は増えず、失業率もほとんど改善されなかった。したがって、ビジネスマンとして実績のあるロムニーの経済再建案に賛同するのは共和党支持者だけでなく、無党派のひとたちにも多かった。にもかかわらずオバマが再選された。何故か? 簡単に答えられる問題ではないが以下私の感ずるところを書いてみる。


ミット・ロムニー候補
今回の選挙結果は、現在のアメリカ社会が抱える問題の根が財政赤字額や失業率などの数字でみるものよりもっと深いところにあることを示している。オバマ再選が決定的になった時テレビに映ったオバマのまわりには白人よりも黒人やヒスパニック(Hispanic: メキシコ系、キューバ系など)の顔が多かった。他方、負けたロムニーを取り囲むのはがっくりした顔の白人男性が多かった。黒人、ヒスパニック、アジア人は少数派(minority)と呼ばれるが、その総数は多数派(majority)の白人人口をしのぐほど増えている。この少数派への働きかけに、オバマがロムニーより勝っていたのが勝利の一因であったことは明らかである。

黒人、ヒスパニックの少数派は社会の下層クラスに多く、政府の援助(食料品を無料で買えるfood stampや無料医療保険Medicaidなど)を受けている者が多い。保守的な白人男性は、この連中を社会の重荷だとみなしている。選挙戦の演説でロムニーが、「税金を払わないで政府援助で生活している47%の人たちはオバマに投票するであろうから、その人たちの支持は期待していない」という趣旨のことを言ってマスコミにたたかれた。確かに大統領候補者としては失言だが、現在のアメリカ社会の問題の本質に迫る発言で、たとえ人種差別の議論になろうとも、もっと掘り下げるべき問題だったと思う。

現在、全人口の16%が貧困と言われ、その階級を救済するのは急務である。また長引く不況で打撃を受けた中産階級への政府援助も必要である。しかしオバマ大統領の政策の方向は、富裕階級への増税、ビジネス、金融界への規制強化で、ヨーロッパ型の社会民主主義の拡大のようにとれる。それに対しロムニーは、連邦政府を縮小して、富と幸福を追求する個人の自由と権利に干渉しない------つまり伝統的な自由経済民主主義を強調する。オバマ的思考は民主党の進歩派に支持され、ロムニーの考えは共和党の保守派に支持される。進歩派と保守派の対立は新しいことではないが、今回の選挙はこの対立が際立ちアメリカが辿るこれからの方向を決める選挙だったといえる。共和党の地盤である南部(フロリダ、テキサスを含む)が、合衆国から独立したいという動きまであり、事情は違うが、南北戦争の確執がいまでも根強く残っていたのかと驚く。

オバマ大統領の当面の大きな課題は、Fiscal Cliff(財政上の絶壁)』をどうやって回避するかである。Fiscal Cliffというのは、2011年9月にオバマが政府支出を増やすための借入上限、つまり財政赤字の上限を上げるよう下院に要請した時、それを認める条件として、2012年の年末までに財政赤字を減らす法案を作ること、それができなかった場合には、2013年1月1日から強制的に政府支出を大幅にカットすることを決めたもので、軍事費、失業保険費などのカットと増税(90%の家庭の税金が平均3,700ドル増加)が施行される。もしそうなれば、2013年のGDP(Gross Domestic Product: 国内総生産)はマイナス1.3%に下がり、失業率は9.1%にはね上がると予想される。せっかく上向きの兆候がみえてきた景気も逆戻りするであろう。Fiscal Cliffを回避できたとしても、巨額(16兆ドル以上)な財政赤字の問題は続く。今回の選挙で大統領と上院は民主党、下院は共和党という構図は変っていない。民主党と共和党の対立は、オバマが大統領になってから激しくなり、ここ数年、政府予算は『前年比』を繰り返すばかりで立法化されていない。

誰の言葉だったか忘れたが、「Diplomacy is an art of compromise(外交は譲歩する技術である)」といわれる。大統領も議員たちも党の利益よりも国民の利益を優先し、お互いに譲歩して問題解決に取り組んでもらいたい。選挙前に誰かが車に貼り付けていた標語を思い出す。「Replace them all! (全員とりかえちまえ!)」。景気の回復が加速しなかったら、 国民は2年後の中間選挙でどんな裁断を下すだろうか?

2012年11月13日火曜日

日本人、ドナルド・キーン



マーチン・ファクラー(Martin Fackler)
2012年11月2日付け、ニューヨーク・タイムズの記事から抜粋

(東京発) 当年90才のドナルド・キーン(Dr. Donald Keen)博士、やや前かがみで小柄な容姿、そのつつましく謙虚な応対から、至って繊細で脆い印象を受ける限り、この人が敗戦で崩壊した日本に立ち直る勇気を与えてくれた人物だったとはとても考えられない。だがそうした外観をもつ生粋のニューヨーク子で、コロンビア大学の文学部教授から引退したその人は、今や、日本を終生の国として選んだのである。

昨年の地震津波、続く福島第一原発の放射能汚染などの災害以来、多くの外人居住者達が日本から逃れていったにも拘らず、キーン博士逆に意図的に日本へ戻ってきた。のみならず、博士は日本の市民権を獲得し、傷ついた日本に援助の手を差し伸べる意志を表示したのである。

こうしたキーン博士の姿勢は、日本で既に文化的知的層の間で尊敬の念を一身に集めていた人柄と相まって、喝采をもって新聞に取り上げられ、テレビのドキュメンタリーで放映され、博物館にまで掲示された。

太平洋戦争の末期、アメリカ海軍の下士官で、日本兵捕虜の訊問にたずさわっていたキーンは、合衆国で日本研究(founder of Japanese studies)を創設した。こうした業績が認められ、外人としては稀な賞を天皇から授与され、又その貢献により日本で最高の文学者たちと知遇を得ることになった。既に特筆に値いする経歴を持つもの静かで遠慮がちな笑みを浮かべる人が日本に帰化した事実は意外ともいえる絶頂期に立った。

キーン博士は現役中、しばしば日米間を往復した。日本に帰化するという行為は、日本に永年住んでいる多くの西欧人たちの殆どが避けてきたことだが、キーン博士にとっては帰化することによって日本人から「受け入れられた」ことの証左に他ならない。

帰化申請についてキーン博士は、「当初、私の申請に対して、大勢の日本人から『お前は大和民族ではない』という憤慨の手紙が殺到するのではないかと予想していました。私の予想に反して、皆が歓迎してくれました。多くの日本人は私の日本への愛着を察してくれたようです」と語っていた。

彼の日本への愛着は、昨年の東北大震災によって精神的に受けた打撃で沈んでいた日本人が自信を取り戻す勇気を与えてくれたようだ。その自信は、長期に亘る経済的な不安感にも救いになるであろう。

ホテルの喫茶店で私がキーン博士と対談している最中、テーブルの脇を通った人が、博士を認めて振り返って微笑んだ。この些細な一事でも、この年老いた学者が本国のアメリカより日本で名声を勝ち取っていたことが判る。インターネットやテレビ情報以前の古い時代の産物キーン博士は絶妙な話術をもち、生涯を日本に捧げて習得した彼の話術は聞く人を魅了しないではいられない。その話題は、博士が最初に日本に接した1945年、沖縄戦の最中のことであった。

キーン博士の顕著な人柄は、日本という単一民族の中にあって、謙虚な『ヨソ者』のまま、暖かく溶け込んでいったことであろう。今年、博士が日本国籍を獲得した時、日本の各大新聞は、彼が仮名(か漢字か不明、未確認)で書かれた『キヌ・ドナルド』なる手書きのポスターを掲げている写真付きで報道した。またこの目出たい話題を記念するため、新潟のある製菓会社は、キーン博物館を建て、ニューヨークに在るキーン博士の書斎を複製し展示の一部にする、と発表した。

博士は、将来いつか一般招待の講義をする考えがあるそうだ。過去の例から考えると、出席希望者が定員を超えるのが常だったから、入場は抽選で、ということになるであろう。

キーン博士は独特の控え目に、「私は今まで逢った日本人は、皆、感謝してくれました、、、(移民申請を扱う)司法省の係官以外はね」とユーモラスに漏らした。(国籍取得の手続きに必要な複雑な書類の提出、などの説明は省略)

ドナルド・キーンが日本へ憧憬の念を抱いたのは1940年(昭和15年)に遡る。コロンビア大学の学生で18才のニューヨーカーだったキーンは、或る日タイムズ・スクエア近くの書店で、日本では千年前の古典『源氏物語』の英訳本に遭遇した。その宮廷内の恋『物語』に魅了されて没頭し、既に国際的に緊迫していたヨーロッパやアジアの紛争から受ける恐怖から逃避することができた。

後年、キーン博士源氏物語から日本の繊細な美意識と、浮き草のように悲しい人生を甘受する情感が、彼の一生を虜(とりこ)にしてしまった。

アメリカが第二次世界大戦に参戦し、キーンは海軍に入隊し、日本語の教育を受け、情報部門の通訳となった。日本兵捕虜を訊問することを通じて、彼は日本人の心情を汲み取れるようになった。キーンが訊問した『捕虜第一号』は戦後、手紙を送ってくれたそうだ。

キーンは、その語学力を活用し、級友数名と共にアメリカでは初めての『日本を学術的な面から研究する(academic studies of Japan)』先駆者となった。アメリカ人の間では、キーンは日本文学について2巻に及ぶ翻訳と編纂を完成し、何世代もの大学生に紹介したことで知られている。彼によると、当時までアメリカ人の間で、日本文学は事実上殆ど知られていなかったそうだ。「私が思うに、私が欧米に日本文学を紹介するのに、それを大学の文学正典の一部とさせるという手段をとったのがよかったのでしょう」と言うキーン博士は、日本文学と歴史に関する書籍を25册も著述し発表してきた。

戦後在日中、キーン博士は時期が良かったこともあり、ちょうどフィクション小説の黄金時代に当たり、貴重な知識を吸収することができた。彼が知遇を得た小説家の中には
三島由紀夫、大江健三郎がいた。年配の文学者、谷崎潤一郎は気難しく、訪問者を避けていたが、キーン博士は例外扱いで招待された。キーン博士に言わせると、「私が日本の文化と真剣な態度で取り組んでいたからでしょう。私は日本語で文学を語る変わり者のガイジンだったのです」とのことだ。

小説家、辻たかし(?)は、キーンは日本人に日本文学の重要さと自信を蘇らせてくれました」と語る。は更に、キーン博士が日本人から受け入れられたのは、大方の西欧人学究徒は日本を研究する態度が冷静で客観的であるのに反し、彼の日本観察は暖かみがあり精神的に理解しようとしていたからで、そうした姿勢はむしろ日本人小説家以上の熱心さがあった、と説明した。そしては、同じことが、逆に超国粋主義者だった三島由紀夫の場合、欧米の文学傾向に影響されていたのと通じるものがあると言える。究極的に、「キーンさん」は情感的に立派な日本人なのだ、と結んだ。

さて、キーン博士、最後章の経歴に当たり、彼が日本人になったことで、彼は再び日本人に自信を取り戻させた。昨年コロンビア大学教授の職責から引退したキーン博士は、彼を日本人の一人として認めてくれたことへの返礼をしたい、と考えている。

「これ(89才で日本の国籍をとった)以後、アメリカ人であることを中止するわけにはいきません。でも私は色々な意味で日本人になりました。見掛けだけでなく、自然にです」とは、ドナルド・キーンの率直な気持ちである。
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編集註:ラフカジオ・ハーン(Lafcadio Hearn: 1850~1904) が日本文化を欧米に紹介し、日本人女性と結婚し、日本の国籍をとり小泉八雲と名乗ったのは一世紀以上前のことであった。

2012年11月1日木曜日

紙製の本は消え去るか?



今は読書週間の真っ最中で、今日11月1日は今年から新たに制定された『古典の日』である。日本なら『源氏物語』を、欧米だったら差し当たりシェークスピアをしっかり読もう、という企みであるようだ。

そうした結構な企画と呼応しているわけでもなかろうが、近年、電子書籍(electronic book: eBook)を含む電子出版が徐々に、そして確実に普及し始めている。当然、古典文学も含まれている。

つい先日、TIME誌(タイム)と一、二を争っている週刊誌の大手、Newsweek誌(ニューズウイーク)が、印刷雑誌を廃止して、全面的に電子版に切り替える、と発表した。
この傾向がさらに続くと、永年親しんできた『紙製の本』は消滅してしまうのではないか、と危惧する声が聞かれる。それに答える予測は後回しにして、電子書籍の歴史を振り返ってみよう。

◆ グーテンベルグ計画:1971年
グーテンベルグ

グーテンベルグ(Gutenberg: 1398~Feb. 3, 1468 )というと、1440年頃、活字(組み替えられるタイプ印字という意味)を実用化し、それまで僧侶が手書きで写経してきた聖書(Holy Bible)の多量な複製を可能にした人物である。そのことで彼は印刷業界の恩人とあがめられてきた。ちなみに、グーテンベルグが活字応用を実現させた年から遡ること300年も前に、ある中国人が陶製の活字を開発ている。また1403年には、ある韓国人が、グーテンベルグ活字の原型とも言える金属鋳造の活字製法を発明している。


鉛の活字
にも拘らずグーテンベルグの名前の方が印刷の歴史で重要視されているのは、何千とある漢字の数に比べ、たった26文字の組み合わせで文章を構成できるローマ字の方が、複製を迅速かつ能率的に印刷できたからであろう。この違いは、後世のワープロでも東洋語の電子化を遅らせた原因にもなったようだ。


グーテンベルグの「聖書」
いずれにせよ、1971年、マイケル・ハート(Michael Hart)の発起で、古典文書の保存を目的とし、それを電子化して収録し始めたのがこのーテンベルグ計画(Project Gutenberg)であった。電子化された古文書の中には、アメリカの『独立宣言(The Declaration of Independence)』が含まれていた。
現在同プロジェクトから、4万冊に及ぶ古典の電子書籍が無料で提供されている。

◆ インターネットの普及:1990年代初頭

1990年代以前には、インターネットはごく一部の専門家だけのものであったし、ISP (Internet Service Provider: インターネットを繋げる仲介業者)はコンピュサーブ社(CompuServe)がほぼ独占し、加入料金も高価だった。後に電話会社その他が続々とISPとして加わり、加入料金が下がって手頃になるにつれ、一般が続々と加入し始めた。インターネットの身近かな利点は、月々の基本料金は別として無料で文書交信ができる電子メール(eMail)である。これが加入者を急速に増やす原動力になり、それに加えて、あらゆる『情報』を容易に即刻に検索できるという利点が爆発的な普及につながった。それに派生して簡便な『買い物サイト』、友人の輪を広げる『社交サイト』、不特定多数への『発言の場ブロッグ』、個人、企業を問わぬ『自己主張、宣伝のホームページ』などなど、その利点は枚挙にいとまがない。

アマゾン・ドット・コム(Amazon.com)が書籍の通販を始めたのもこの頃であり、今ではインターネットでは最大の『売り手』に成長した。

◆ PDF (Portable Document Format)の登場:1993年

PDFは、ソフトでは業界最大のアドービ社(Adobe)が開発した『文書共有化』の形式である。それまでは、システムが違うコンピューターの間では文書の互換性がないという不都合な面があった。それを解決したのがPDFで、文書をPDFに変換すれば、受け取る相手のシステムが何であろうと文書、写真や映像を開くことができるようになった。これが、いわば『電子書籍』の基本的な構想となったのである。

◆ CD本の誕生:1990年代初期

CD (Compact Disc)は、既にLPレコードカセット・テープを駆逐し、音楽の媒体を占有していた。それまで『音』だけを収録していたCDが、文書や画像も収録できるようになった。これに従って、この以後に製造されたコンピューターにはCDドライブが内蔵されるようになり、CDの内容をスクリーン上で見ることができる。さらに音声も聞かれる『百科事典』や『雑誌』『カタログ』が発売され、また無料の宣伝材料にも応用されている。

◆ 電子書籍の静かな本格化:1999年


「開けゴマ!」ならぬ開けイーブック: Open eBook: は一般に知られないまま、古典文学や教科書の分野を開発し始めていた。まだ商業的な存在ではなかったが、、、。

◆ ソニー(Sony)とグーグル(Google Books) が電子書籍の商業化:2004年

ソニーのイーリーダー
先ずソニーがイーインク (eInk)と名付けた読書用の端末器を発売した。ほぼ同時に、グーグル(Google) が端末器ではなく、インターネットで電子書籍の販売を始めた。

◆ ソニー、二代目の端末器: イーリーダー(eReader):2006年

新しい二代目は、前記の eInk テクノロジーを活用し、今は亡きボーダー・ブックショップ (Border’s Bookshop)と提携し同社を通じて電子書籍の販売を始めた。

◆ アマゾンの挑戦:2007年

アマゾンのキンドル
紙製の書籍販売では独占的な販路を持っていたアマゾンが、キンドル(Kindle) と名付けた端末器で読めるeBook 販売を開始したのは、むしろ当然の成り行きだった。それまでに築き上げた広大な流通市場を利用し、アマゾンの電子書籍はたちまちトップの座に就いてしまった。

◆ スマートフォンの登場:2007年

アイフォーン
時を同じくしてアップル社 (Apple Co.) アイフォーン(iPhone)を発表した。このスマートフォンは基本的には携帯電話であるが、その多彩な機能は驚異的に豊富で、画面は鮮明、カメラやビデオまで組み込まれている。これが魅力で若者たちの間で爆発的に売れたことは周知の通りである。これはアマゾンの電子書籍と競合するどころか協調し、アマゾンから発売されている書籍をダウンロードして読める仕掛けになっている。これで、電子書籍の販路が大幅に拡大された。

◆ アップルの追い打ち、アイパッド(iPad)の登場:2010年

アイパッド・ミニ(手前)とアイパッド
スマートフォンは従来の携帯電話よりは大きいが、本を読むのにはもう少し大きければ読み易いのだが、といういう消費者の要望に応えたのがこの『タブレット(tablet)』型で、アイパッド(iPad)と呼ばれる形体の端末器である。これがスマートフォンと並行して、同様に爆発的に売れた。

消費者というものは勝手なもので、「大きければよい」と願った舌の根も乾かぬ内に「もう少し小さいと目立たなくて持ち運びに便利」なことを要求し、今年その小型アイパッド・ミニ(iPad Mini)が発表された。これは、もしかしたら消費者の要求に応えたというより、アップル社が販路を拡張するための消費者市場プラニングから生まれたのではないか、という観測もある。いずれにしても、『柳の下』にドジョウがいたようで、これも爆発的な人気を呼んでいる。

◆ 紙製の本は消え去るか?

いいことづくめの『電子書籍』の成長ぶりを観察してみると、紙製の本の将来は悲観的でしかないように思える。私は色々な理由で『電子書籍』を愛用し、友人にそれとなく推薦しているが、私の世代の老人ばかりでなく、若い世代の人々でも『電子』に抵抗を示し、『紙製の本』に執着している方がまだ大勢存在することは確かだ。

その理由は様々だが、一つには、『電子書籍』は端末器を介してのみ存在する、という不安定な面が否めない。一方『紙製の本』は『器具なし』でも手に取って直ぐ読めるという安心感がある。紙の「手触り」や「装丁」への執着も捨てられない魅力だ。

第二に、電子書籍』は貸し借りができないこと。『書籍』を収録している『器具』には個人的な情報が無数に入っているため、他人に貸与するわけにいかない。また収納された『書籍』を他器にコピーすることはできない。

というわけで『紙製の本』は次第に少なくなるであろうが、消滅することはない、というのが私見である。編集: 高橋 経

付記:毎年大赤字を計上している郵政省は、インターネットの普及による犠牲者(社)の最たるものではあるまいか。