2011年9月29日木曜日

国連の平和デーと平和塔


国際平和デーについて
 

1981年、国連総会の通常会期が始まる第3火曜日の9月21日イギリスコスタ・リカ(Costa Rica)の提案で、平和の理想を記念し更に強化する日、国際平和デー(International Day of Peace)の設定を提案し、国連総会はそれを決議し発表した。以来、毎年9月21日を国際平和デー、または世界平和デー(World Peace Dayとも言う)と定めた。この日だけは、戦地なら一時的に戦闘を控え、世界的に戦争の無い日にした。多くの国々、政治集団、軍事集団、そして世界中殆どの人々が同調し実践されてきた。
この日を世界に想起させるため、国連本部ビルでは日本の国会から寄贈された平和の鐘が打ち鳴らされる。この鐘は当時の加盟国すべての国々の子供から集められた貨幣が溶かしこまれ『世界絶対平和万歳』という言葉が刻まれている(上の写真)
ある小都市での共鳴
除幕式の直前。『平和塔』は写真の右端に白布に包まれている。
取り付け前の白ハト
ミシガン州マウント・プレザント市(Mt. Pleasant)にあるモンテソリ保育園(Montessori Children's Center)では、国連の呼びかけに呼応し、その週末に当たる9月24日に、クエーカーのメンバーが建立し献納し『平和塔』の除幕式が行われた。その8面には、下掲のように8カ国語で「平和を守る」願いと決意の言葉が表示されている。
ドイツ語(上)と英語
フランス語(上)とアラビア語
イタリア語(上)と中国語+日本語の合成語
スペイン語(上)と原住インデアン語

『平和塔』制作について:
高さ2.5メートル;直径37センチ;文字板10センチx120センチ、プラスチック;鳩は高さ38センチの木製で翼はプラスチック;中芯はスチール・パイプでセメントの土台で固定。
デザインと制作は高橋経(中央)、頂点の白鳩制作:ディヴィッド・グーレイ(David Gourlay右から2人目)、インストレーション協力:スチーブン・ラダ(Stephen Lada 右端)ドン・ナグラー(Don Nagler 左端)レイ・ディヴィース(Ray Davies 左から2人目)。いずれも塔を献納したクエーカー(Quaker)のメンバー。

2011年9月14日水曜日

ある少女の思いやり、そして願い


こと寄付となると、大人たち(筆者も含め)は『家庭の事情』による打算が優先して実行をためらう傾向がある。その点、子供たちは純粋に率直に困っている人々を救おうと行動に移す。もちろん全ての子供がそうだとは限らないが、ここに掲げた少女の話はほんの一例であって、多くの少年少女が自分たちの能力の限りを尽くして『恵まれない人々』を救うべく、貯めた小銭の貯金箱を洗いざらい寄付してしまうような事実がしばしば報道されている。そうした美談には頭が下がる。時に、大人は子供を見習わなくてはならないことがあるようだ。編集:高橋 経

レイチェル、最期の募金活動
ニコラス・クリストフ(Nicholas D. Kristof)
2011年8月10日付け、NYタイムズ紙から抜粋

「近頃のガキは、ネットにどっぷり浸かって、新しい友達探しに熱中し、、、」といったような批判をしばしば耳にする。だが、そんな一面だけを強調することは今日の少年少女に対して誤った認識を抱くおそれがあるようだ。

事実は、あらゆる面でその正反対なのである。今日我々の社会生活は、政治や経済、あらゆる面でマヒ状態にある。我々『成人』はあらゆる面で失望することが多く、目先のことに汲々として、重大な問題を解決できないでいるのが現実である。

そんな大人達の生活闘争にまだ汚されていない幼い世代は純真な率直さを失っていない。そうした少年少女たちは、より良い世界を築けると真剣に信じている。
レィチェル・ベックウイズ:2002年6月12日〜2011年7月23日
不況で沈滞していたこの夏、私が少女レィチェル・ベックイズ(Rachel Beckwith)の話を知った時、失いかけていた私の人類愛への信条が復活した。去る7月23日、僅か9才でこの世を去ったレィチェルは、大人の私に成熟した無欲な心を教えてくれたのである。

レィチェルはシアトル市の郊外に住んでいた。5才になった時、この少女は学校でロックス・オブ・ラブ(愛の石:Locks of Love)』という団体の存在を知った。その団体は、ガンなどの重病でラジューム線治療を受け、頭髪を失った子供たちにカツラを提供するという慈善事業をしていた。レィチェルは、ためらうことなく、彼女の長い美しい髪の毛を切ってロックス・オブ・ラブに送ったのである。

レィチェルの母親サマンサ(Samantha)「あの子はガンの子供たちを助けたかったのです」と私に話した。髪の毛を切った後レィチェルは、また髪を伸ばしてロックス・オブ・ラブに寄付し続けるのだと宣言し、数年間、忠実に実行していた。

呑める水が不足しているケニアから
レィチェルが8才の時、家族が属している教会で、水が乏しいアフリカに井戸を建設するというチャリティ:ウォーター(Charity:Water)』という慈善団体への寄付金を集めていた。世の中に清潔な呑み水がなくて困っている人々がいることを知って仰天したレィチェルは、予定していた9才の誕生日パーティを取り止め、その代わりに友達から9ドルづつ集めてアフリカの井戸建設に寄付することにした。

レィチェル、9才の誕生日は6月12日、『チャリティ:ウォーター』のウエブ・サイトに登録し、目標300ドルとした。残念ながら目標は達成できず総額220ドルに止まった。

(上の写真はレィチェルの事故とは無関係)
720日、9才になったレィチェルは家族と車で高速道路を走っていた。その途上、2台のトラックが衝突事故を起こし、これが原因でレィチェル一家の車を含む13台が巻き添えとなった。不運というか、家族の中でレィチェルだけが重傷を負った。

事故後の処置として、教会のメンバーや友人たちが一体となって相談し『チャリティ・ウォーター』のサイトに設定していたレィチェルの目標300ドルを継続して達成させることにした。目標はたちどころに達成したばかりでなく、その後も寄付が続々と寄せられ、レィチェルの病床の脇に積み上げられていった。見舞いの家族や友人たちがその朗報を伝えたが、意識不明のレィチェルは多分聞こえず、何も知らないままだったようだ。

ジャスティン・ビーバー
その寄付の中には人気絶頂のポップ歌手、ジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)が彼の17才の誕生日を記念し集めて送ってきた4万7千544ドルが含まれていたことすら無意識だったに違いない。母親のサマンサは「レィチェルがその事を知ったら飛び上がって感激したことでしょう。でもあの子はジャスティンのファンだなんて一言も洩らしていなかったんですよ」と涙ぐんでいた。

やがてレィチェルの回復は絶望と判断され、点滴パイプが外された。少女の両親はその長髪を切り、『ロックス・オブ・ラブ』に彼女最期の寄付として贈り、内蔵器官は必要としている未知の子供たちに贈られた。このことは口から口へと人々に伝えられ広まっていった。

寄付は続々と贈られてきた。しばしば、レィチェルの年令に因んだ、『9』の倍数が多かった。中には5才の子供が貯金箱を空っぽにして贈ってくれた2ドル27セントなど、涙ぐましい小額も含まれていた。寄付金の総額はやがて10万ドルを突破し、30万ドルに達した。

私も動かされ、なにがしか寄付させて頂いた。今この記事を書いている時点では、世界中から寄付が寄せられ、85万ドルになったと聞く。その中には、アフリカからの寄付もあったとのことだ。彼らは「アメリカの一少女が、他の大陸に住む我々のことを心配してくれた」ことに感動したから、とのことだ。

レィチェルの母親、サマンサは娘の一周忌を記念してアフリカへ行き、『チャリティ:ウォーター』の井戸掘り事業がどのように実現されているか自分の目で確かめたい、と計画している。「たった9才で死んだ私のレィチェルが、世界中の人々の心に触れ、そしてその人達を動かして『レィチェルの井戸』を実現させたことを見るなんて、考えただけでも胸がいっぱいになります」と声をつまらせていた。

レィチェルよ、安らかに眠り給え。我々の世代は君から教えられたよ。

2011年9月5日月曜日

新首相に期待できることは?

過去6年間における首相の交代

■ 小泉純一郎(昭和17年生れ)、自民党:2005年9月21日〜2006年9月26日
■ 安倍晋三(昭和29年生れ)、自民党:2006年9月26日〜2007年9月26日
■ 福田康夫(昭和11年生れ)、自民党:2007年9月26日〜2008年9月24日
■ 麻生太郎(昭和15年生れ)、自民党:2008年9月24日〜2009年9月16日
■ 鳩山由起夫(昭和22年生れ)、民主党:2009年9月16日〜2010年6月8日
■ 管直人(昭和21年生れ)、民主党:2010年6月8日〜2011年9月2日
 
日本の新聞の社説を読んだ限りでは、いずれも就任当時の国民の期待に背き、失望の末、辞任し(あるいは辞任に追い込まれ)政権から脱落している。
 
特に今年は東北が大震災に見舞われ、人的、物的ともに莫大な被害を被った挙げ句、損壊した福島原発の放射能漏れ対策が一向にメドが立たないまま、政治家の無対策、そして政治の空白によって国民の難儀が存続している。管直人に代わって、『ドジョウ』こと民主党の野田佳彦が首相の座に就いたが、震災や放射能の事後処理や、経済問題を善処する意欲や能力があるのか、望みが空しいまま、それでも期待を受け、全力を尽くして対処してもらいたいものだ。(2011年8月30日、下院議会で首相に選ばれ、拍手を受ける民主党の野田佳彦:左から3人目で起立)

アメリカも、山積みする自國の難問に追われて汲々としているが、友好国、日本の将来も無関心ではいられない。編集:高橋 経
 
日本の新首相に期待できることは?
9月4日付け、NYタイムズ紙、社説から
 

民主党内から野田佳彦が選出され、辞任した管直人に代わって首相となった。國民が選んだ首相ではない。昨年来、財務大臣としての職責を充分に果たしていない内に、更に重責を担った野田新首相には、これからの政策方針はまだ固まっていないようだ。

彼の思想は国粋主義に傾いており、日米戦争当時の戦争指導者たちは、国際法廷で『戦争犯罪者』として裁かれたのであって、日本の法廷で裁かれたのではないから、彼らの戦争責任は認められないと公言してはばからない。こうした彼の姿勢が、中国や南朝鮮の反感を買っている。一方野田は、アメリカ政府と良い関係を保つべく、沖縄の米軍基地を移転させる運動には消極的で、発言を控えている。

特に最低な態度は、自国の経済問題の解決に対して明確な方針がないことだ。過去20年来、国際的な経済危機も含めて停滞している経済成長、円高にようる打撃、そして大震災の救済問題、などへの具体的な対策は立っていないようだ。増税して経済の復旧を考えているようだが、産業経済が強化されない内に増税する事は賢明ではない。現在の日本は、世界的な不況に巻き込まれているのが実情だ。

野田は、直面している膨大な債務を軽減させることが当面の急務だと主張している。それ自体は確かに正しい。しかし、本当の急務は、国内需要を活発にするために、経済機構を立て直すことではあるまいか。日本経済に必要なことは、市場を活気づけ、規制を改善することだ。

過去の首相では、5年前、自民党の小泉純一郎が効果的な政策をとっていた。小泉以後の後継首相たち5人は、首相の椅子をタライ回しにしただけで、何らの成果も収めていない。野田新首相がこうした惰性的伝統を打ち破る人物であって欲しいものだ。

アメリカ政府は、日本のこうした過去のタライ回し政権との外交にはうんざりしている。こんな状況の下で、野田新首相が、今月開かれる国連総会に出席する予定で、会議の後、オバマ大統領がホワイト・ハウスへ招待することになるであろう。その際、両首脳が、中国との関係、北朝鮮の原子力計画、世界的な経済不況などについて、今後どう対処するかについて討議する必要がある。

そうした討議が、国連議会に付随した儀礼的な外交に終わってはなるまい。

2011年9月2日金曜日

日本がアメリカに降伏した日

1945年(昭和20年)9月2日

今から66年前、8月15日、昭和天皇裕仁がポツダム宣言を受諾し敗戦を認め、その15日後の8月30日、占領軍総司令官ダグラス・マッカーサー(Douglus MacArthur)元帥が厚木飛行場に到着した。

次のフィルムは、それに先立って自ら武装解除、元帥の到着、そして東京へ向かう路傍の風景など。ナレーションはスペイン語。2分53秒


次のフィルムは、昨年一度公開したニュース映画だが、改めてご紹介する。9月2日、東京湾に停泊していた戦艦ミズーリ号の甲板で、マッカーサー元帥の演説に続き、日本側は重光葵外相以下11名、それに対する連合国代表が降伏の書類に署名し、公式に日米戦争が終結した。ナレーションは英語、8分37秒