2011年1月24日月曜日

ダン・シルヴァスタインの三つの顔

ダン・シルヴァスタイン(Donald Silverstein)の芸術は、未だ画壇や美術評論家たちの口の端に上っていない。しかし知る人ぞ知る、彼の芸術はその個性的な奔放にして繊細なタッチをニューヨークの片隅で光り輝かせている。ダンの芸術を愛する人々は、その知名度の高低に拘らず、彼の作品をこよなく愛し、所有していることを誇りにしている。7年前の1月30日、72才の生涯を終えたダンは生前、三つの顔を持っていた。

1:抽象的具象画家のダン

ダン・シルヴァスタイン(Donald Silverstein)の絵画は、奔放でありながら繊細で微妙な情感を湛えている。ダンが描く線や点は自在に走り、八方に飛び散り、それでいてその線や点々が確実にキャンヴァスの上に、決定的な瞬間で凝固されている。凝固されながら、今にでも炸裂するかのようなエネルギーを秘めている。(上の作品:Untitled #28; 1981)

ダンは好んで鮮やかな真紅や群青で画面を染めた。だが、その鮮やかさがギラギラと画面から浮き出すことはなく、その色を取り巻く暗色で押さえられている。(上の作品:Untitled #44; 1984)

描かれた形体が何であるかは判断できるが、その題材はダンの意識の中で消化された形体に昇華され、見事に抽象化されている。(上の作品:Blue Heart; 1980)

たまたまジャクソン・ポロック(Jackson Pollock:1912-1956)がペンキのしぶきでキャンヴァスを彩っているのにヒントを得て、同様なテクニックをダンなりに修得し開発した。ダンの名誉のため一言喚起しておくが、彼の芸術は決してポロックの模倣ではない。画材の選択や適応は誰でも許されるものである。ポロックダン、両者の作品を比べてみれば明白にそれぞれが持つ個性の違いが認められる。(上の作品:Untitled #12; 1978)

必然的にそうした要素がダンの絵画に潜む生命の源泉であり、ダンの絵画はいくら見つめていても飽きることがない。ダンの妻、サキコ夫人ダンという『男性』にではなく、ダンの『絵画』に惚れたのです」と半ば冗談めかして彼に乞われて結婚した動機を語っていた。(上の作品:Fragmented Self; 1980)

そのダンが、2004年1月30日に他界した。当時72才、『早逝』でこそなかったが、創作に精も根も尽き果てて生命の火を燃焼し切ったような死であった。(上の作品:Romanticized Retribution; 1991)

日本式に言えば、来る1月30日はダンの七回忌の命日ということになる。(上の作品:Torso 1-A; 1988)

ダンが死に至るまでの30余年間は、ダンがその絵画芸術に開眼した才月であった。ダンの開眼は彼の天分もさることながら、常にサキコ夫人の理解と愛情と援助に支えられてきたことは見逃せない。そしてダンの死後、夫人は彼の作品を整理し、系統付け、誰からも経済的な援助を受けず、ささやかながら画廊を開き、亡夫の傑作を世間に発表し続けてきた。(上の作品:Antarctic Cathedral; 1988)

今のところ、中央画壇の表面には出ていないが、個人的にダンの芸術を愛する人たちが遺作を賛美し買い求めている。遺された作品は大小取り混ぜて数百点に及ぶ。(上の作品:Untitled #11; 1978)

ギャラリー・サキコは、当初一般に公開していたが、最近では遺された作品をコンドミニアムの一室にまとめ、下記の電話またはメールで予約をとって観覧することができる。百聞は一見に如かず、誰にも邪魔されず、ひっそりと個人的に鑑賞することによって、ダンの芸術の真価を探究し、堪能なさることをお勧めする。
  • 所在地:155 West 68th Street, Suite 1127, New York City 10023
  • 電話とメール:212-496-3263/sakiko@gallerysakiko-ny.com
  • ウエブサイト:http://gallerysakiko.com
(ダン・シルヴァスタインの作品15点余りを収めた小冊子をご希望の方は、画廊サキコにメールでお申し込みになると、一部に付き送料込み8ドルで入手できます。Sakiko@gallerySakiko-NY.com)

2:童画、漫画家のダン

ダン・シルヴァスタイン(Donald Silverstein)が、絵画に専念する以前は、可成り売れっ子のイラストレーターだった。童話本を始めとし、コマーシャルから週刊TVガイドのイラストなど、広範囲の分野にわたって仕事をしていた。

人物の描写はユーモアに富み、稀に野性的な暴力シーンや淫らな性的な場面を描くこともあったが、常にユーモアが漂っていた。また時に上に掲げた風刺的なイラスト『独裁将軍(The General)』を揶揄した作品は、単にイラストと呼ぶには惜しいほど絵画的に洗練されている。受賞作品もあり、一時ニューヨーク・イラストレーターズ協会(Society of Illustrators, New York)の会員だったこともあった。

しかし、確立された組織的な社会でつつましく人生を送るには、ダン自身の自我と止むに止まれぬ自由を憧憬する性格が許さず、気ままな自己表現に徹する方向を選んだ。(右は、清掃用のブラシでキャンヴァスを塗りたくるダン)

余談になるが、数十年前、多摩美大の伊東寿太郎(いとう じゅたろう)教授がニューヨークを訪れ、
ダンと彼のグリニッジ・ヴィレッジのアトリエで対談したことがある。その対談の中で、教授が「貴方の崇拝する画家は?」と尋ねた時、ダンはためらうことなく「誰もいない」と答えた。これがダン・シルヴァスタインの『唯我独尊』ともいうべき自信であり、躍如とした面目であった。

3:素顔のダン


ダン・シルヴァスタイン(Donald Silverstein)は1932年、ペンシルヴェニア州の炭坑町で生まれ育った。幼い頃、消防車のサイレンを聞くのが楽しみだった、と言うから、ちょっとしたいたずら小僧だったに違いない。

後に家族の移動に伴ってデトロイトへ移り、長じて美術を学んだ後、同地のアート・スタジオで美術部助手として働きながら更に磨きをかけた。その頃、同僚とデトロイトの一流レストランへ出かけたが『正装』を要求され、ネクタイをしていなかった
ダンは一旦表へ出て、落ちていた荒縄を拾い、首に巻いて入店を許された、という逸話がある。

ロンドン時代には、スポーツカーを乗り回して、イギリスの青年男女を煙に巻いていたようだ。(左は、シルクハットを被り、ファッション・モデルと。)


60年代、ニューヨークのアトリエに最高級の音響装置を備え、ネオ・クラシックやジャズの音楽を聴きながら制作し、同世代の友人たちからの羨望を一身に
集めていた。レコード・ジャケットのイラストにも味わいのある作品を数々遺している。

サキコ夫人に求婚した一件は、ダンが冒したあるプラクティカル・ジョークの延長線上にあったのだが、正に二人にとって運命的な出逢いだったと言える。(右は1980年代に在日中のダン。シャツには『外人』とある。)

その他に、
ダンのプラクティカル・ジョークで騙された被害者の話が何件かあるが、いずれ機会があったらご紹介する。だが『被害者』達がダンに腹を立てたり恨んだ、という話は全く聞いていない。
---- 高橋 経 -----

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

本当に百聞は一見に如かずです。
画家は死んでも、作品は永遠だということを実証しています。