2010年11月25日木曜日

敵(病原菌)もさるもの

志知 均(しち ひとし)
2010年11月


1992年ごろ『ボクが病気になった理由』と題する日本のテレビ番組を見た。自分が直腸ガンだと信じこんだ会社員が起こした騒ぎが、オレもワタシも症状が同じだと一般市民に広まって大騒ぎになる話、おいしい店巡りの番組に長期間出演し、もともと糖尿病の傾向があった女性アナウンサーが糖尿病になってしまう話、ホテルの手違いから見知らぬ女性と一夜を同室にされた中年の高血圧の男性が血圧を上げる話、の三題話である。番組の内容は面白かったが題名がちょっと変だと思った------病気になるのは理由ではなく原因があるからだ。

とはいっても、ガンにしろ、糖尿病にしろ、高血圧にしろ、病気の原因を究明するのは難かしく、ほとんどの治療は対症療法になるので、病気の理由原因の言葉の混乱があっても仕方がないかもしれない。病気になる原因には病原体の感染、有害環境因子、傷害、遺伝体質などいろいろあるが、この小文ではバクテリアに焦点を合わせて、病気の原因になるバクテリア(病原菌)とヒトの身体との攻防戦について書いてみる。バクテリアの名前その他で聞きなれない用語が出てくるがご容赦されたい。

われわれの周りの空気、水、土、動物、植物すべてがバクテリアに満ち満ちている。ヒトの身体は10兆の細胞でできているが、その外側(皮膚)内側(呼吸系、消化系など)の表面は100兆のバクテリア覆われている。バクテリアは肉眼で見えないから我々は平然としているが、もし見えたら握手もキスもしなくなり、刺身(さしみ)や握り鮨(にぎりずし)も食べなくなるだろう。(右の写真手前の水が、バクテリアで緑色になっているニュージーランドの湖)

幸い、身体に寄生する4万種類近くのバクテリアの内、病気を起すのは100種類ぐらいで、ほとんどのバクテリアは無害か有益な種類である(有益バクテリアはビタミン合成や、不消化物を消化してくれる)。肺は一日に1万のバクテリア細胞を吸い込み、腸には食物と一緒に膨大な数のバクテリアが入ってくるので、1千億のバクテリアが寄生しているといわれる(糞の乾燥重量の1/4がバクテリア!)

そのため呼吸器系と消化
系は特に病原菌に侵され易い。生まれたての赤ん坊は無菌状態だが数時間で腸内バクテリアの集落(colony)ができ始める。当然病原菌も入ってくるが、幸い母親が新生児に与える初乳の中に免疫抗体(lgAと呼ばれる)が含まれており防いでくれる。成長につれ免疫系が完成し、病原菌に対する抵抗性ができれば、感染しても必ずしも発病はしなくなる。

実際健康人の1/3が結核菌(Mycobacterium tuberculosis)の保菌者で、その半分が胃潰瘍を起すピロリ菌(Helicobacter pylori:右の電子顕微鏡による写真)や食中毒を起すスタフ菌(Staphylococcus aureus)の保菌者である。感染から発病までの期間を潜伏期と呼ぶが、一生潜伏期のままで過ごす病原菌も多い。

病原菌にせよ、有益菌にせよ、身体の中へ入った
バクテリアは免疫系に殺されることなくどうやって寄生するのだろうか?肺や腸などの臓器(ホスト)に入ったバクテリアホスト組織の表面を覆う粘膜に付着する。それを通り抜けて外皮細胞層に達するとホスト細胞を刺してバクテリが増殖し寄生するのを容易にする多数の因子注射する。ホスト細胞バクテリアの到来を探知して防御態勢をとるが、ホスト細胞にとって有益なバクテリアの場合は殺さないで寄生させる。ホスト細胞が探知に使う道具の一つが特別な探知器(Toll-like receptor: TLRと呼ばれるで、バクテリアの細胞外膜にある糖脂質(Lipopolisaccharide; LPS)を探知するTLR4バクテリア鞭毛(べんもう:flagella:左の分解図の7)構成蛋白フラジェリン(flagellin)を探知するTLR5が特に重要である。ホスト細胞は病原性バクテリアの侵入を探知するや否や、免疫系を活性化し、バクテリアを殺す免疫食細胞(phagocyte)を召集する。この防御システムが常にうまく働けば病気にならない筈であるが、現実はそうはいかない。その理由はホストの免疫系に殺されないために病原菌はいろいろ巧妙な手段を講じてくるからである。そのいくつかを紹介しよう。

まず、TLRに探知されない手段の例。食中毒をおこすサルモネラ菌(Salmonella enteritidis:右の写真は電子顕微鏡で撮影)TLRに類似の蛋白をつくりホスト細胞TLR作用を混乱させて探知されるのを免れる。ピロリ菌TLR4TLR5に探知されないためにLPSフラジェリン蛋白の両方の構造をかえる。

ダニの媒介で白血球に感染してアナプラズマをおこすアナプラズマ食細胞菌(Anaplasma phagocytophilum)の場合は極端でTLR4の探知を逃れるためLPS合成の遺伝子を全部捨ててしまう。LPSがなくなって弱くなった細胞膜はコレステロールで補強する。そのためコレステロールの要求性が高くなり、高ステロールホストを感染に選ぶようになる。
アナプラズマ食細胞菌TLR4の探知を免れても結局探知されて食細胞に取り込まれる。ところがこの『殺し屋』は、食細胞の中で生きのびる手段をもっており、最後は逆に食細胞を殺してしまう。

このような病原菌は他にもいくつか知られているが、もう一つ例をあげれば、14世紀に、蚤(ノミ)の媒介による腺ペスト病(bubonic plague)でヨーロッパ人の三分の一を死亡させたペスト菌(Yersinia pestis)がある。この菌は血液中の食細胞に潜んで全身に広がりリンパ節へ入って増殖し脹れ(bubos)を起こす。免疫食細胞の中に隠れて生存するような驚くべき適応性をアナプラズマ食細胞菌はどうやって獲得したのであろうか?在郷軍人病(Legionella disease)はこの疑問にヒントを与えてくれる。

これは1976年、フィラデルフィアで開かれたアメリカ在郷軍人(American Legion)会に出席した人達の何人かが呼吸疾患を起こして死亡したケースで、病原菌はホテルの部屋の通風孔からひろがったアメーバに寄生していた菌(Legionella pneumophila)であった。この菌は土中でアメーバに食べられていたが、そのうちに『進化適応』してアメーバの細胞の中で寄生する能力を獲得した。アメーバ免疫食細胞(phagocyte)は性質がよく似ているので、この菌はヒトの食細胞に入っても殺されないで寄生できる能力を発揮できると考えられる。

ホストに寄生するために使う手段は、この他にも土中での長い生存の間に獲得したものなど、いろいろあるであろう。例えば、ヒトの体内で抗生物質の攻撃を受けた場合、多くの病原菌バイオフィルム(biofilm)とよばれるテントを造って隠れる。この性質は数種のバクテリアが土中で共生していた時お互いの自己保存のための『情報交換』抗生物質を使っていたことの反映だといわれている。バイオフィルムを造って共存する時は少量の抗生物質を分泌し、相手を殺す必要がある時は大量に分泌する。それにしても病原菌が示す自己防衛の秘策の数々には驚く外はない。敵もさるものである。

抗生物質病原菌に対する強力な武器であるが、その使い過ぎは危険である。例えば、先進国では広汎な抗生物質使用のため過去10年間にピロリ菌保菌者の数は減少した。そのお蔭で胃潰瘍や胃ガンは激減した。その反面、食道ガンが増えている。胃酸分泌が増えて酸性が高まるとピロリ菌は自己防衛のため胃酸生成を抑える物質を分泌する。ピロリ菌がいなくなると胃酸調節が狂って胃液の逆流(acid reflux)で酸が食道へ出て
起す炎症が、食道ガンを増やした原因であろうと解釈されている。

また、ピロリ菌が減ると食欲を高める因子(ghrelin)が増え、抑える因子(leptin)が減って肥満の原因になる。したがってピロリ菌は身体に有益なバクテリアでもある。この例で判るように、消化系の寄生菌には有害か無害かが決め難いものが多い。腸内細菌を抗生物質で絶滅させたマウスに、肥満マウスの腸内細菌を導入すると肥満になると、いう報告がある。肥満は代謝病(metabolic disease:左はその図解)といわれているが、この結果は腸内細菌による感染が肥満の原因であることを示している。残念ながら、腸内バクテリアとヒトの身体との共生関係については、一部のバクテリアを除いてあまり判っていないので、肥満に関するバクテリアについては今のところ何も言えない。この小文の始めに触れた糖尿病高血圧も一般に代謝病として薬物による対症療法されることが多い。

しかし代謝異常が何によって起きるか判らなければ、
バクテリアの感染も関係している可能性は否定できない。そう考えることが病気の理由ではなく原因の追究につながる。

2010年11月23日火曜日

伝統を守り続けるワイン造り

エリック・アシモフ(Eric Asimov)
2010年8月24日付け、NYTから抜粋
撮影: Rodolphe Escher for The New York Times

フランス、サン・ジュリエン・ベイチェヴェル(St.-Julien-Beychevelle)発

フランス、メドックグラン・シャトウ(the grand chateaus of the Médoc)など大手のワイン・メーカーに比べたら、ドメイン・ジュ・ジョウガレ(Domaine du Jaugaret)ははるかに小規模なワイン醸造業者である。ワイン批評家が見過ごしてしまう存在だ。案内書にも滅多に掲載されない。こうしたワイン造り業者は将来のことを考えていないように見える。彼らの設備といえば、石造りの小屋が並び、床は土や砂利が敷かれているだけ、壁はキノコのようなカビで覆われている。お世辞のつもりで『古色蒼然(こしょくそうぜん)』と形容しておこう。

こうした外見にも拘らず私には、サン・ジュリエンドメイン・ジュ・ジョウガレの存在の重要性を無視することはできない。ワインの主流としてシャトウ・ボルドウ(Châteaux Bordeaux:上の地図を参照)の銘柄が高級品のイメージを樹立し、その磨き上げられ、光り輝き、世界的に商業的な成功を収めているが、私見として、ジョウガレに籠められているワイン魂のような『個性』に欠けているように思われる。


そのジョウガレを醸造しているのは、ジャン・フランソワ・フィラストラ(Jean-François Fillastre)で、フランスのワイン造りの伝統を頑固に守り、ブドウを育て、ワインを造っている一人である。

フランス、ボルドウ地方の一郭サン・ジュリエンドメイン・ジュ・ジョウガレで、フィラストラ家は、350年以上もの間ワイン造りを家業としてきた。

当年67才、ジャン・フランソワ・フィラストラは3.1エーカー(1.25ヘクタール)の土地を6つの区画に分割し、文字通り独りで手入れをしている。

メドック地区では、ブドウをもっとソフトで、みずみずしくして旨いワインを造るべく改良を重ね、そうした新種マルベック(the malbec)の栽培が増えていった。ジョウガレの配合は、専らキャバネ・ソヴィニョン(cabernet sauvignon)が占め、10年以上も熟成させて仕上げている。

フィラストラ家のブドウは、殆どが少なくとも50年以上の年輪を持ち、マルベック種が100本以上も含まれている。

フィラストラは、ワインを古いカシの木樽に30ヶ月ほど寝かせておく。「たいていのワイン造りは18ヶ月ほどで売りに出すけど、私は昔からのやり方を守っています」とのことだ。

年代もののワイン、ドメイン・ジュ・ジョウガレは倉庫に貯蔵されている。フィラストラの生年と同じ1943年(昭和18年)に醸造した67年物は、輝かしく、優雅で、純粋だ。

ジョウガレの壁を覆っている永年のカビ、そして同様に昔ながらの製法を守っている倉庫は、多分今日の衛生管理の基準には合わないであろうが、ワインそのものは思いがけないほど純粋である。

ドメイン・ジュ・ジョウガレはむしろ、カビ臭い石造りでタイル屋根の倉庫、といった環境が適しているようだ。そこにはワイン樽貯蔵室よりやや小さ目な発酵部屋がある。

パイペット(pipette;またはピペット)は樽から試飲する時に使うガラス用具。フィラストラが使用しているパイペットには薄く先細で独特な美しさがある。彼はガラス器も自分で吹いて作る。

ジョウガレのワイン樽は年代ものだから、カシの香りが優しくワインに滲み込む。

なぜフィラストラが先祖代々の伝統を根気づよく守っているのか?という疑問に対して冗談混じりに「私が偏執狂だから」と答える。

フィラストラが妻のクリステル(Chrystel)シャトウ・ジャン・フォウ(Château Jean Faux)を買い取る前は、 ワイン樽作りで成功していたパスカル・コラット(Pascal Collotte)が経営していた。彼は自分が造るワインに有利と思えることには積極的に投資する。

多くのボルドウの醸造家とは違って、ブドウ園を先祖代々受け継いできたコラット家は建物群を改装するだけの余裕が充分にある。 

ブドウ園が地方の風景を占めるボルドウの単一文化の中で、シャトウ・ジャン・フォウのブドウ園は珍しく林の地帯に隣接している。

コラット家のブドウ園では化学肥料を使っていない。なぜ?「私が造ったワインは自分も呑むからさ」コラットは答えた。

コラット家では、自家で燻製(くんせい)を作り、そのハムを食べる。

燻製の味は、特に全てが自家製だったら、でもピンク(red or rosé)でもボルドウ・ワインと良く合う。
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フランス・ワイン購入のご案内
(主にニューヨーク)
  • CRU D’ARCHE-PUGNEAU Exquisite Sauternes, $50 to $75. (Rosenthal Wine Merchant, New York)
  • CHâTEAU ANEY Classically shaped Haut-Médoc, $25. (Kermit Lynch Wine Merchants, Berkeley, Calif.)
  • CHâTEAU BEAUSÉJOUR Fruity, earthy Montagne-St.-Émilion, $15 to $30. (Daniel Johnnes Selections/Michael Skurnik Wines, Syosset, N.Y.)
  • CHâTEAU DE BELLEVUE Plush, mineral-laden Lussac-St.-Émilion, $25. (Kermit Lynch Wine Merchants)
  • DOMAINE DU JAUGARET Profound, old-school St.-Julien, $55 to $100. (Rosenthal Wine Merchant)
  • CHâTEAU JEAN FAUX Gulpable red and rosé Bordeaux Supérieur, $15 to $30. (Daniel Johnnes Selections/Michael Skurnik Wines)
  • CHâTEAU LANESSAN Classic bistro Haut-Médoc, $20. (Fruit of the Vines, Long Island City, N.Y.)
  • CHâTEAU MOULIN DE TRICOT Pleasingly raspy Haut-Médoc; perfumed, intense yet graceful Margaux, $30 to $45. (Rosenthal Wine Merchant)
  • CHâTEAU MOULIN PEY-LABRIE Plush, earthy merlot from Canon-Fronsac, $25. (Louis/Dressner Selections, New York)
  • CHâTEAU LA PEYRE Fresh, minerally St.-Éstèphe, $40. (Rosenthal Wine Merchants)

2010年11月22日月曜日

甲州ワイン、世界市場への道


コーリィ・ブラウン(Corie Brown)
2010年10月26日付け、NYTの記事から
写真撮影:ササキ・コウ


山梨県発

(註:甲州とは即ち封建時代の甲斐の国、現在の山梨県を中心とした地域。)

日本人がワインを造り始めてから可成りの年月が経つ。日本産のワインは、特に甲州ブドウから醸造された甘口のせいか、外人の舌に合わないようだ。だが、東京に駐在するワイン輸入業者のアーネスト・シンガー(Ernest Singer 下右の写真)は、甲州ワインが世界で高級白ワインの銘柄の一つとして、認められる価値があると信じている。


シンガー甲州ワインに魅かれたのは、ドライな白ワインを試飲していた10年前に遡る。軽くピリッとして柑橘(かんきつ)類に似た香りを含むその味わいは、伝統的な日本料理にぴったり合い、東洋産のワインとして国際的に認められるべきだと彼は信じている。

地方産のブドウ園で栽培されたブドウから造られたワインと、フランスから取り寄せたワインとで、シンガーは自分用の特製ワインをあれこれと味わってみた結果、甲州ワインの可能性を見出した。現在彼は、家族代々ワイン醸造を営んでいる人々に呼びかけ、世界市場に出しても引け目のない甲州ワインを完成させるべく、その一番乗りを目指して研鑽している。


シンガーによると「日本人は、本格的なワインを造る能力があります。問題は、彼らがその目的を達成するために、本場の醸造法を学び、従来のワイン造りの方法から脱却する気があるか、それとも今まで通りの安ワイン造りに固執していたいかどうか決め兼ねています」とのことだ。


シンガーは更に「良いことには、私が励ました結果、少数ですがやる気のある若いワイン醸造者が台頭していることです」と言う。それについては甲州ワイン醸造のリーダーで、シンガーにとっては商売仇とも言うべきグレース・ワイン(Grace Wine)の社長ミサワ・シゲカズも一目をおき「シンガーさんが励まさなかったら、誰も甲州ワインを輸出しようなんて考えていませんでした」と期待している。(左の写真:甲州ブドウ園)

日本人がヨーロッパやカリフォルニア・ワインの存在に目を向けるようになった1970年代は経済的な絶頂期であり、以来人々は輸入ワインに傾倒し、国産ワインの人気は落ちていった。1990年代の半ばには、ほんの僅かな甲州ワイン醸造家だけが品質の向上に励んでいただけだった。


日本人の中で高級ワインを求めるワイン通は、過去150年の間に甲州ワインが辿ってきた道を訝しんでいる。甲州ブドウは酸味があるのが特長。栽培者は傷んだり、腐った実は取り除き、ワイン醸造の過程で多量の砂糖を投入する。


日本の気候は夏から秋にかけて雨が多いので、一般的にブドウの生育には適していないが、甲州ブドウには向いているようだ。腐敗に対する抵抗力が強く、成熟が遅く、天然の酸味を確保している。前述のミサワ社長は、砂糖味の強いワインを拒否した最初の日本人醸造家である。「私はグレース・ワインの4代目です。甲州ワインは当社の製品の3分の2を占めています。だからその品質を向上させる必要があるのです」と力説した。

日本のワイン醸造家たちがヨーロッパやオーストラリアを視察旅行し、西欧的なワイン醸造法を学んできたが、その実現は緩慢で一向に捗っていない。乾燥地帯での醸造法をそのまま日本では適用できないからだ。また、国外では『甲州ワイン』の名は全く知られていないにも拘らず、甲州ブドウの質は、世界で人気のあるワインの醸造に使われている品種不詳の野生ブドウであるヴィタス・ヴィニフェラ(vitis vinifera)を交配した改良品種と同質である。(カリフォルニア大学、DNA研究所の調査に基づく)


甲州ワインの傍系であるシャトウ・ルミエール(Chateau Lumiere)の醸造家オヤマダ・コウキ「ここでワイン造りを修得した我々新しい世代は、新しい醸造法の開拓者です。私たちは、お互いに助け合い、討論し合い、良い方法を探り、品質を高めています」と語る。(右の写真:シャトウ・ルミエールのキダ・シゲキ(左)とオヤマダ・コウキ)

シンガーは初めてドライな甲州ワインを試飲したあと、思い切ってフランスへ飛び、ボルドウ大学のデニス・ヂュボウディウ教授(Denis Dubourdieu)を訪れ、ミサワの醸造所でできた4醸造期(2004年〜2007年)のワインを試飲してもらった。そのワインを造るに当たってシンガーは、原料であるブドウを間断なく供給するために中部地方の3県にまたがるブドウ園用の土地を借りた。現在では9社のブドウ園がその広大な土地でブドウを栽培している。


シンガー甲州ワインに対する確信は、ワイン批評家のロバート・パーカー(Robert M. Parker Jr. )に支えられている面が大きい。1998年にパーカーシンガーをアジア地域の営業代表として雇って以来、両者は密接に協力し合ってきた。2004年12月、シンガーが持ち帰ったグレース醸造所の2004年物甲州ワインパーカーは試飲し、100点満点の88点の評価を与えた。パーカーの感想は学ぶべき味わいということだった。


醸造初期のワインは従来の格子棚上で育ったブドウから造られたものだった。その棚上で生育するブドウの蔓は八方へ20メートル近くも伸びていった。シンガーがブドウ造りに関わるようになってから、ブドウの立ち木の間隔を狭くし、四方に整然と並べ、新芽が上に向かって伸びるようにした。これはヨーロッパやアメリカで実施している方法であって、ブドウは小粒になるが、味覚が凝縮して高級ワインを造るのに適しているからである。

こうしてシンガーのワイン造りの基礎が固められた所でヂュボウディウ教授の勧告に従い、従来の甲州ワインが必要としていた『砂糖』を除去した。また、苦みの強いブドウの表皮を加工前に取り除いた。その結果著しくドライになりアルコール分が減った。


こうしてできたワインは春に瓶詰めし、新鮮な内に販売された。


この単純な味わいのワインを、複雑な味わいに傾いていた批評家のパーカーが高く評価したのは意外だった。同時に彼が10.5パーセントという低いアルコール分の甲州ワインに印象付けられたことも意外だった。


ボルドウ(Bordeaux)の醸造家ベルナルド・マグレツ(Bernard Magrez)は、勝沼醸造所製の甲州ワインを少量だけ欧米に配給している。だが同醸造所のヒラヤマ・ヨウキ所長は、欧米での販売量を増やすことより、アジア向けの輸出に重点をおいている。理由は「アジア製のワインはアジア人の食べ物に合います。抑えた味のワインなら繊細な味の料理を損なうことはありません」ということだ。


批評家パーカー甲州ワインを高く評価したが、世界のワイン市場は単純に受け入れそうもない。

一方で日本の醸造家たちはそれぞれに研鑽を重ねている。醸造用の樽をカシの木で造ったもので試したり、アルコール分を増減したり、発酵前に砂糖を加えたり、様々な工夫を加え、その結果様々な味わいのワインが生まれているようだ。


シンガー、勝沼醸造、甲州オブ・ジャパン、いずれも100パーセント国産ブドウを使用しているが、規制によると、ブドウの産地は限定されておらず、たった5パーセントの国産ワインが国産のブドウを使っているに過ぎない。


飲み手の側として、先ず日本人の消費者は、まだ高価な国産高級ワインの価値を認める段階に至っていないようだ。

ロサンゼルス、プロヴィデンス(Providence)でレストランを経営しているシェフ、マイケル・シマルスティ(Michael Cimarusti)は最近日本を訪ね、勝沼醸造甲州ワインを試飲してすっかり気に入り、店の高級ワイン・メニューに加えて意気込んでいる。


だがニューヨークでシンガーの甲州ワインを輸入しているロバート・ハーメリン(Robert Harmelin)「誰も知らない甲州ワインを、高価なワイン・リストに加えても売れるかどうか疑問です」と悲観的だ。


シンガー「もう少し時間がかかる。私が日本に50年も住んでいたことを考えてごらんなさい。甲州ワインが世界で珍重される時が必ず来ますと自信のほどを示している。

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甲州ワインの購入法(アメリカまたはイギリス在住の方に限る)
  • For Ernest Singer’s Cuvée Denis Dubourdieu, $16 to $18, contact Robert Harmelin at Allied Beverage: robert.harmelin@alliedbeverage.com, (856) 234-4111.
  • For Katsunuma Jyozo’s koshu wines, $45 to $70, contact Toshio Ueno at Mutual Trading Company, toshio.ueno@lamtc.com, (213) 626-9458.
  • The wines of Koshu of Japan are not now available in the United States. To find out when they will be, contact Lynne Sherriff at lynne@lynnesherriffmw.com or at 61 Albert Drive, London, England, SW19 6LB; (44-20) 87802937.

2010年11月15日月曜日

幻の『メトロポリス』83年ぶりの復活

メトロポリス(Metropolis)』は無声映画時代に空想科学分野の大作映画だった。時は1926(大正15年)、ドイツの映画監督フリッツ・ラング(Fritz Lang:左の写真)が野心満々、意欲的にメガホンをとって製作した。劇場で公開されたのが翌1927年だから、日本的な言い方をすれば「大正から昭和にかけて発表されたドイツ映画の超大作」ということになる。

今日のコンピューター・グラフィック(Computer Graphics: CG)、色彩デジタル、大型スクリーン、ステレオ音響効果、3D立体映像などを駆使した映画技術を見馴れた観客にしてみれば、技術的に比較する対象とはなり得ないことは言うまでもないが、今から80年余りもの昔、白黒、無声映画という時代の背景で製作されたことを考えると、この映画の骨董的価値類いのない傑作と評価される値打ちは充分以上にある。

物語りの内容は73年後の未来、すなわち2000年を想定している。巨大な摩天楼群がそそり立つ未来都市が舞台、これは監督製作のフリッツ・ラングがニューヨークを訪れた時に見た摩天楼に刺激を受けたのだと伝えられる。例の経済大恐慌の直前で、ニューヨークには世界中どこの都市にも見られない活気が溢れていたことであろう。

主人公の一人、ジョー・フレデルソン(Joh Fredersen)はその未来都市を築いた支配者。この巨大都市の輝かしい繁栄の陰に当たる地底に張り巡らされた工業的な機械組織では、奴隷のような労働者たちが日夜交代、24時間、汗と脂を流して働き、地上の動力源を供給している。そこで支配階級と労働者の相克があり、善と悪の葛藤があり、宗教的な意義が暗示され、それに悲劇的な恋のメロドラマが絡む。観客たちは手に汗を握って成り行きを見守る場面の連続で、筋書きはスリル満点である。(左はコミック本の表紙。映画の前後に刊行された。)

結果は映画を見てのお楽しみ、ということにしておくが、この映画、結びの鍵となる警句フレーズが「頭脳の働きと手足の動きを取り持つのは心である(The Mediator between Brain and Hands must be the heart)」としている。誰が『頭脳』で、『手足』は誰、そして誰が『心』の役割をそれぞれ果たすのかが、この映画のフィナーレとして結着する。(右は書籍版)

フリッツ・ラングの当初の完成作品は2時間余りという、当時にしては際立った長編だった。ドイツ国内で公開した直後、アメリカへ輸出してパラマウント映画(Paramount)が配給元になった。英語の字幕に編集する際、利益に聡い経営者は、観客動員の回転を促進するために、フィルムのあちらこちらを1時間分もカットし短くしてしまった。当然、ラングの初期の制作意図はおおむね無視された結果となった。(左は倉庫に積み上げられたフィルム缶の山。映画の編集は気が遠くなるような作業の連続。)

その後に起こった第二次世界大戦など、年月を経るに従ってラングの原作映画のフィルムは影をひそめ『幻の映画』として歴史の彼方に葬り去られてしまったかに見えた。(右は発見されたフイルム缶の一つ。左はフィルムの編集作業。)

2008年の初頭、その原作フィルムの長編が思い掛けずアルゼンチン、ブエノス・アイレス(Buenos Aires)で発見された。といっても16ミリのフィルムに複写されたものだった。劇場用のフィルムは35ミリ、16ミリは映画マニアのアマチュア用で小型だが、無いよりはるかにマシ、それを挿入再編集する復活作業が始まった。

その以前、2001年にも復活フィルムが公開されたが、そのフィルムは短縮版。16ミリの発見により、25分間分の欠損部分が補足され、原作の長編とほぼ同等の内容に復活された。(右の右は、画面が荒れているアルゼンチン版、左は修正された2001年版)

先ず完全修復版
の再公開の封切りは、ハリウッドの名門劇場、グロウマンのチャイニーズ・シアタァ(Grauman's Chinese Theatre)で4月に、つい先日はニューヨークのジーグフェルド・シアタァ(the Ziegfeld Theater)で2週間にわたって公開された。

先週は、テレビのターナー・クラシック・ムーヴィ(Turner Classic Movie: TCM)『完全修復版』が上映され、私もやっと幻のメトロポリスを鑑賞することができた。同時にその修復計画に携わった大勢の人々のインタビューも紹介された。それだけでも1時間たっぷりの充実した内容で、ここでその全てをお伝えするのは難しいので、ご参考のため、修復に関わった人々の名前だけ列記する。(左は、聖女マリアを魔女に変身させる場面)

修復関係:
• Friedrich-Wilhelm-Murnau-Stiftung, Wiesbaden (jointly with)
• Deutsche Kinemathek — Museum Für Film and Fernsehen, Berlin

• (in associate with) Museo del Cine Pablo C. Ducros Hicken, Buenos Aires 修復援助関係:
• Beauftragter der Bundesregierung für Kultur und Medien
• Gemeinnütziger Kulturfonds Frankfurt Rhein Main CmbH

• VGF Verwertungsgesellschaft für Nutzungsrechte an Filmwerken


その他の貢献者、資材提供、監修者など、アルゼンチン、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、イタリー、15団体および個人

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なお、『メトロポリス』の予告編、本編、その他がYouTubeで下記の通り公開しているから、リンクをクリックして垣間みることをお奨めする。

本編 http://www.youtube.com/watch?v=rD_-flw9IcQ

予告編 http://www.youtube.com/watch?v=ZSExdX0tds4

修復版 http://www.youtube.com/watch?v=zAuSEdPbqmo

2010年11月10日水曜日

木の枝に傾ける情熱

2010年8月付け、NYTより抜粋

パトリック・ドハーティ(Patrick Dougherty)は彫刻家である。28才の時、ここノース・カロライナ州、チャペル・ヒル(Chapel Hill)に10エーカー(4ヘクタール余り)の土地を購入して住み着いた。

ドハーティは周辺の林から、若くてしなやかな小枝、中枝、太枝をかき集め、設定の予定地でそれらを織り(『折り』でなく)上げ、動物のような有機的な形体を作り上げる。作品の大小や難易にもよるが、1点を完成させるのに3週間前後かかる。

ドハーティのテーマは、毛羽だらけの鳥の巣とか、単純な野生動物などが多く、自然に生えている立ち木をそのまま利用して織り込んだり、現存する建物に組み合わせたりして、これまでに世界各地で200点余りを創作した。
最近の制作はブルックリン植物庭園(the Brooklyn Botanic Garden)100年祭を記念し天然の歴史(Natural History)』と題して創作されたもので、来年の8月まで展示されている予定である。彼の屋外に展示された作品は、2、3年の寿命で朽ち枯れてしまう。

ドハーティは、半ば冗談で「私の処女作は、古い納屋を解体した材木、倒木とか地面から掘り起こした石を使い、手作りで仕上げた自分の家です」と語る。

ドハーティのスタジオ (アトリエ)

ドハーティは、住居や付随した数々の建物も作品として考え、そこから新たな発想が生まれる。「何はともあれ、私はモノを組み立てることが好きなんです」と言う。

野生のシカを防ぐ垣根を廻らせた野菜園。

ドハーティは、赤カエデの枝を好んで使う。
出張制作の場合も、自分の敷地から集めた枝を使う。

ドハーティスタジオは、数々の付随した建物の一つ。

彼は住居を建てたあとで美術学校へ通った。手前の円塔は、ドハーティの最初期の彫刻。

小枝で覆われた別棟の一つ。

ドハーティは平均して、1ヶ月の内1週間は在宅している。
この壁を構成している石は、全て敷地から発掘したもの。

子供が描くような家の正面。一番最初に建てた1部屋キャビンの外観が見える。

雨樋は中太の丸太をくり抜いて作った。

息子のサムのために作った遊び小屋。
サム
は今16才、友達と二人でブルックリン植物庭園
父親の作品天然の歴史の制作を手伝った。


台所の一郭。

「私の夢は家を建てることでした。あの時は、私が潜在意識で彫刻家になる夢を見ていたとは気が付いていませんでした」と追想する。

別棟。ピクチャー窓と天窓がある。

撮影: Randy Harris for The New York Times