2010年10月26日火曜日

3百万ドルの車、売りません

回顧的な骨董車(Vintage Car)』と言ったらアストン・マーチン(Aston Martin)とかブガッティ(Bugatti)などの名車が思い浮かぶ。それに引き換え、アメリカの量産車は古くなったら値打ちがなくなり、お金を払ってまでジャンクヤードへお引き取り願うのがオチだ。

例外的に、ヘンリー・フォードが1908年に始めて作った量産車T型フォード(Ford Model T)』の愛好会はアメリカ全土に数え切れないほど存在し、活発に保存道楽を愉しんでいる。

ロケットF88の誕生

その一方で、近年斜陽をかこっているGMの過去に、輝かしい一時期があったことをお伝えしたい。「夢よ今一度、、、」の願いが実現するかどうかは別として、アメリカ自動車産業、栄光ある歴史の一コマをご覧いただきたい。

1954年型に向け、GMの今は閉鎖されてしまったオールズモビール部門(Oldsmobile)が、野心満々でスポーツカーを作り上げた。この車の完成には10年以上も費やし、殆どが独特の木型から鋳造された部品を統合して組み立てられた。

もし当たれば量産車のベストセラーになるはずの魅惑的でセクシーなオープン・スポーツカー(Convertible Sportscar)、当時評判だったシボレー部門スポーツカー、コルヴェット(Chevrolet Corvette)も顔負けするであろう、という意気込みでロケットF−88(Rocket F88)』と名付けられた。コルヴェットの装備は6気筒、2段『パワーグライド(Powerglide)』式トランスミッション。それに対してF-88はV-8気筒に、当時はまだ珍しいパワー・ウインドウが付いていた。

それを知って戸惑ったのが当のGM首脳部オールズシボレーに対抗したのでは同士討ちである。ドル箱コルヴェットの売り上げが落ちる可能性のある新車を生産させるわけにいかない、とF-88の生産は禁止となり、オートショーの展示用夢の車(Dream Car)』コンセプト車としてだけ製造させた。

という訳で、作られたF-88は2台だけ、3台目があったという噂もあるが確認されていない。その1台だけが現存し、それがアリゾナ州スコッツデール(Scottsdale)にある自動車競売の名門、バレット-ジャクソン社(Barrett-Jackson Auto Auction)に託され、ディスカバリー・コミュニケーションズ(Discovery Communications)の創始者ジョン・ヘンドリックス(John S. and Maureen Hendricks)夫妻が、324万ドル投じて落札した。

世界でたった1台のロケットF-88を入手したものの、夫妻がドライブした形跡はなく、現在はゲートウエイ・コロラド自動車博物館(the Gateway Colorado Automobile Museum)歴史の曲がり角(cornerstone)』と名付けられた特別室で、回転展示台の上に展示されている。

差し当たりこの『走らない名車」は、不出世の名車
とでも言うべきであろうか。

2010年10月21日木曜日

名古屋会議に期待する

会議で無意味な存在、アメリカ
2010年10月19日付け、NYT社説から


1992年、193カ国からの代表がブラジル、リオ・デ・ジャネーロ会議に出席し多様生物(biodiversity)』を保護する案件の協定に合意した。今まで世界はこうした方向に消極的だった為、保護計画が著しく遅れているのが現実である。実施に合意した国々が今週から来週にかけて名古屋市で会議に参加する。代表たちは、過去における対処の不全を検討し反省し、今後いかに処置したらよいかを討議するはずである。


調査統計によると、1992年からの18年間に、貧しい国ほど以前に比べて加速的な勢いで天然資源を消費している現実を示し、かつて富める国々が歩んできた道を踏襲していることが明らかになった。最近の予測では、地球の植物、生物の5分の1が遠からず絶滅する危機にさらされ、珊瑚礁両生類の衰退ぶりはそれ以上に悪化しているとのことだ。1992年以来、カリフォルニア州(または日本列島)の面積に相当する(熱帯)雨林(上図の緑は、世界の熱帯雨林の所在地;下は、伐採された森林)が地球上から消滅してしまった。

2002年、前回の会議で調印した国々は、2010年までに多様生物衰退実質的な阻止目標に掲げた。その目標にはそれぞれの国に存在する動植物の10パーセントを保護し、その管理に多大な財政的な援助を出資した。だが、世界野生生物基金(the World Wildlife Fund)の観測では、目標は達成には程遠い、とのことだ。

名古屋会議では、さらに意欲的な目標を定め、2020年までには『多様生物』の保護を20パーセントに増やし、森林の損失をゼロにしたい、としている。これは、実行が計画に伴わない限り実現は覚つかない。この会議では、危険状態にある地域や生物の種族を具体的に確認し、それを基盤とし、協定の目標に向って過程が実行されているかどうかを各調印者が厳しく監視する必要がある。(下左:珊瑚礁;下
:雨林カエル)

富める国々は、貧しい国々が現存の森林、沿岸、水域などの環境を破壊せずに利用するための措置ができるよう援助すると誓約する必要がある。富める国々は、貧しい国々を共同体と考え財政的に援助しなければならない。過去何年間も地球の温暖化問題が国際会議で論じられてきたことが、貧しい国々がその森林を保護するための援助に多少でも役立ったようだ。だが、多くの国々で森林が恐るべき勢いで伐採されているのが実情だ。

1993年の会議で調印したアメリカ合衆国は、193カ国の中で唯一の批准しなかったである。それは1994年、上院議員の投票で所有財産の権利』を支持する多数の連合派によって打倒されてしまったからであった。言い換えると今回、名古屋会議でのアメリカ代表の立場は傍聴人であり、協定の賛否が決定できる『参加者ではない』のだ。

アメリカ人の一人として、これは全く恥ずかしいことである。

2010年10月16日土曜日

鏡の中の自分

志知 均 (しち ひとし)
2010年10月


ものごとの高度の認識(cognition)はヒト特有のものではない。そのことを実証してきたことで有名なハーバード大学心理学教授マーク・ハウザー(Marc D. Hauser:右の写真)の研究結果に捏造の疑いがあると、最近ボストン・グローブ紙が報道した。大学側は調査を始めたが、ハウザーが有名であるだけに、研究に不正があったとすれば、研究者としての資格がきびしく問われるのは当然である。認識はヒトがヒトであることを示す根本的な特徴であるので、その研究は近年急速に進み競争がはげしくなっているのが不正を招く原因のひとつかもしれない。

高度認識の基本ともいえる自己認識(self cognition, self awareness)の能力があるのはヒトとチンパンジーゴリラなどの無尾猿(apes)にかぎられているというのが通説である。ハウザーシシザル(tamarin:左の写真)ニュー・ワールド・マンキー(platyrrhine)自己認識能力があると発表したが他の研究者の追試では証明されていない。 動物に自己認識する能力があるかどうかを調べる方法のひとつに鏡テスト(mirror test)がある。鏡に映った像が自分であると認識するのはそう簡単なことではない。

たとえばチンパンジーは、鏡に映った像をみて、自分が歯をむきだせば像も同じことをする、赤い帽子を頭にのせれば像もそうする、、、などを認識するが、それだけでは自己認識にならない。(上の写真)自己認識のためには、手や腕や胸毛など自分のからだに関する記憶や、赤い帽子の記憶、それを頭にのせた記憶など多数の些細な記憶を総合し判断する能力が必要である。

心理学者はそれらの記憶を(working memory: 役に立つ記憶)と呼んでいる。道端に落ちているゴミの記憶はすぐに忘れるが道路工事をしている記憶は残っている。それは、そこを後日通る時に役に立つ記憶だからworking memoryである。

自己認識できる動物は、できない動物より一段と進化しているといえるが、無尾猿とヒトでは遺伝子がほぼ99%同じであるにもかかわらず、自己だけでなく自然界を認識する能力に雲泥の差がある。その違いは、ヒトの場合、少数の遺伝子の突然変異のおかげで手首や指を器用に動かすことができるようになったり、顔の筋肉を早く動かせるようになったことだけでは説明できない。遺伝子変化よりも頭脳のはたらき、すなわち膨大なworking memoryを集積し分析する能力を獲得したからだと考えられている。

しかしその能力は突然得られたものではなく、ヒトが無尾猿と分かれた600万年前から漸次進化した結果である。知能とは問題を解決する能力のことであるが、ヒトの遠い先祖の古代人が氷河時代のように種の存続の危機に直面した場合、working memoryを最大限に使っ
て知能を働かせ問題を解決したに違いない。その結果、言葉(language)が形成され、それによる抽象思考が可能になって、知能はさらに進歩した。それにつれて記憶をつかさどる大脳の前頭葉(frontal lobe:頭蓋骨の大きさを比較)も発達した。

そのようにworking memoryに支えられて知能が進歩したことは、世界各地で発掘された古代人の遺物(道具や装飾品など)を古代史別に比較することにより明らかにされた。考古学者は、更に重要なこととして、集団の人口がある程度以上に大きくなく、集団のメンバーが協力しなくなったら、知能の進歩は遅れ、集団そのものも滅亡したであろうと指摘する。ホモ・フロレシエンシス人(Homo Floresiensis:左の想像図:右上の写真:左の同人類と現代人頭蓋骨を比較)ネアンデルタール人(Homo Neanderthal:右下の想像図と左下の頭蓋骨)が20,000~30,000年前に絶滅したのはその例であるようだ。

ここまでの話は理屈っぽくて退屈されたかもしれないので、少し調子をかえよう。この小文の初めに動物の自己認識を調べるのに鏡を使うことを述べた。自己認識は自分と他人を区別するため、すなわち自我(個性)の生長のための基礎である。特に顔の認識は重要で「顔を立てる」、「顔をつぶす」、「顔にかかわる」、「大きな顔をする」、など顔が人格を意味する言いまわしが沢山ある。安部公房(あべ こうぼう)著書他人の顔の中で次のように書いている。

「顔というのは、つまり表情のことですよ。表情というのは他人との関係をあらわす方程式のようなものでしょう。自分と他人を結ぶ通路で、その通路がふさがれてしまったら通る人も、無人の廃屋かと思って、通り過ぎてしまうかもしれない。」

この小説の主人公は液体窒素を顔に浴びてケロイドになり、自分の顔を失ってしまう。その結果、妻の心も離れていく。主人公は仮面をかぶって『他人の顔』になり街で妻を誘惑する。誘惑にのった妻と情事を重ねるが、実は妻は相手が仮面をかぶった夫であることを見抜いていた。


この主人公のようにケロイドで自分の顔を失はなくても、年齢を重ねれば誰しも若い頃の顔を失っていく。毎日、鏡の中の自分を詳しく観察する女性は、年令による顔の変化を化粧や、時には整形手術によって隠し、年令と共に変っていく顔の自己認識はしっかりもっている。それに対し、男性は、ヒゲを剃ったり、髪をといたりする時にちょっと鏡を見る程度だから、自分の顔の変化に無頓着なことが多い。精力的に仕事をしている時期は
特にそうである。しかし、定年退職して第二の人生が始まると、それまで鍵をかけておいた『玉手箱』を開く日が遅かれ早かれやってくる。(下の写真はマーク・ハウザーの『鏡イメージ』)

ある日、箱を開くと現役の頃の苦労や楽しい思い出や仕事に関するworking memoryが一抹の煙とともに消えてしまう。そして、鏡の中に疲れて老いた顔を『他人の顔』のように見つけ、その顔をどう受け入れていくかが第二の人生の大きな課題になる。

貴方は今日、鏡の中の自分を見つめてみましたか?

2010年10月13日水曜日

ハイテク版廃品回収、そして再生へ

[先日公開した『尖閣諸島エレジー』に関連した記事です。まだ読んでいない方は、下へスクロールして『尖閣諸島エレジー』を先ずお読みください。状況がより明確にご理解いただけます。文中の『希土類金属』は『希有元素』とも言います。なお、人名、地名、会社名、団体名は英訳からの復訳です。もし正しい漢字、正しい表記ををご存知でしたらお知らせください。編集から

たぶち・ひろこ
2010年10月4日、NYTに掲載

世界的な金属採掘の生産競争に追いつかず、過去20年間も廃坑となっていた小坂鉱山(秋田県)に復活のきざしが期待されている。

その期待とは銅や石炭の埋蔵ではない。
希土類金属その他、日本のハイテク産業が必要とする鉱物で、今日まで世界的需要をまかなう生産を独占している中国から輸入していた。先日来、(尖閣諸島付近で中国漁船と衝突し、その船長を拘留したことで)中国と摩擦を起し、希土類の輸出禁止に遭い、それに代替する鉱物を小坂に求めているのである。

といってもこの町の希望は、地下資源に求めることではなく、おびただしい量の
エレクトロニクス携帯電話などの廃棄物を回収し、部品に使われている貴金属とか鉱物を抽出して再利用することである。

国土開発庁の
フユシバ・テツゾウ元長官は最近、小坂の再生工場を訪問調査し「我々は携帯電話から文字通り『金塊』を発見しました」ということだ。小坂における再生意欲は、最近中国から希土類輸出を停止された日本にとって重要な開発事業と目されている。
小坂で一世紀以上にわたって鉱物を採掘をしていた同和鉱業所(Dowa Holdingsからの復訳)は再生工場を建設し、その心臓部ともいうべき高さ60メートル以上もある溶鉱炉でエレクトロニクスの廃棄部品を溶かし、貴金属を抽出している。そうした廃棄部品は国内はもとより、アメリカを含め国外からも回収されたものである。(上の写真:同和鉱業所の主溶鉱炉)

金の他にも、
同和鉱業所の傍系会社である小坂精錬会社(Kosaka Smelting and Refining:からの復訳)では、既にLCDスクリーンに使う貴金属インディアム(indium)や、半導体のシリコン薄板に使うアンチモニー(antimony)を抽出している。

更に同社は、電気モーターに使う工業用バッテリーに欠かせない希土類金属ネオジム(neodymium)や、レーザー機材に使うジスプロシウム(dysprosium)の抽出法を開発しようとしている。


天然資源に乏しい日本ではあるが、政府管轄の調査機関である国立資源科学団体(the National Institute for Materials Scienceからの復訳)では、日本で使用済みのエレクトロニクス器材には、30万トンもの希土類金属が潜在しいていると見積もっている。その量は、世界の需要93パーセントを供給できる中国が保有している量に比べたら微々たる数量ではあるが、日本が隣国の供給に依存する量を減らすのに大いに役立つことになるであろう。


希土類金属の国際取引高は、1億5千万ドルと、鉱業の水準に比べたら低い数字だが、需要の価値が上がり、中国が輸出量の制限をすることによって価格は高騰している。

中国の希土類金属の貯蔵についてはアメリカも強い関心を示している。中国では日本を除いて輸出制限はしていないが、同金属の輸出計画量はあまり余裕がなくなってきている。従って中国は年内の各国向け輸出量を従来の72パーセントに減らすと通達した。


先週、ワシントン政府でも国会議員は、希土類金属がエネルギー関連の産業や軍事機器にとって重要な資源であることを考慮し、その供給状況の調査を承認し進めている。

日本の企業は一般的に鉱物の保有量について語ることを避ける傾向がある。だが情報通に言わせると、ある企業は希土類金属を大量に保存蓄積しているとのことだ。その貯蔵量は企業によるが、ある会社は数ヶ月の生産分、また別の会社は1年の生産分を確保しているとのことだ。先日、オバタ貿易長官は、政府は貿易を停滞させないために希土類金属の備蓄を考慮していると表明した。


代替案も続出している。世界中にちらほらと散在する半ば見捨てられた鉱山が見直され始めている。アメリカではカリフォルニア州マウンテン・パス(Mountain Pass)のモリィコープ(Molycorp)など、その他の国では、南アフリカ、オーストラリア、カナダ、などが検討、調査が進められ、日本の貿易商社ソウジツ(Sojitz)はヴェトナムの鉱山と採掘権を、住友商事はカザクスタンの政府と、それぞれ交渉を進めている。


また、日本の製造企業では希土類金属を必要としない製品の生産の開発を推進している。先週、政府関連の機関である新エネルギーと工業技術開発協会(New Energy and Industrial Technology Development Organization, or N.E.D.O.から復訳)は、ハイブリッド車のモーターに、従来の希土類金属でなく、安価な冶金マグネットが代替できると発表した。


一方、日立金属では、銅の合金を利用し、希土類金属を最小限に使う研究を進めている。


「日本の製造業者たちは、部品の重要な個所に使う金属を、中国からの供給に依存していたことの危険性を痛感したはずです」
と言うのは、東京、丸紅の調査機関のシバタ・アキオ営業部長である。彼は、日本の産業が希土類金属に替わる鉱物を開発したり、廃棄部品を回収して再生することによって恩恵を受けるであろう。そのよい例として、1970年代のオイル・ショックのお蔭で、日本の自動車産業が世界に先駆けて燃費効率が優れた車を生産することに成功した、と付け加えた。

日本では、数社が希土類金属のリサイクルを試みている。日立では廃棄されたコンピューターのハード・ドライブマグネットから希土類金属を抽出する実験を始めたが、実用に供するには2013年までかかるようだ。

だが、1884年以来小坂で採鉱を続けてきた同和鉱業所はこの分野での草分けである。坑道には雑草が生い茂り、トロッコの鉄路は錆び、且つて鉱夫が地下でつけた垢を洗い流した風呂場は廃屋となっていた。この6千人そこそこの小さな町に再起の機会が訪れたのは時期尚早ではなかろう。


鉱山としての採掘は、円高となり、国際的な競争力が弱くなったので1990年で業務を打ち切った。今日、古いレンガ建ての原鉱物処理工場の一部は、2年前から同和鉱業所再生工場として運営している。


「今の日本にとっては、廃坑を再検討して復活させることが急務です」
と力説するのは、国立資源科学団体のハラダ・コウメイ管理部長で、小坂で運営されているような再生産業を熱心に支持し援助している。希土類や地下資源は別として、ハラダ氏によると、概算6千8百トンの金が日本全国のエレクトロニックスに使われていて、その量は世界中に貯蔵されている金の16パーセントにも及ぶ、とのことだ。


彼は「日本の経済は、世界中の資源を集めることによって成長します。そしてその資源の大半は何らかの形で我々が所有しているのです」と言う。

こうした再生処理は費用がかさみ、技術的に難しい工程があるが、完成させねばならない。

同和鉱業所の工場では、コンピューターのチップやその他重要なエレクトロニクスの部品を2センチ四方に断裁し、その上で鉱物を抽出する前に摂氏1400度の溶鉱炉で溶かされる。その工程で一日300トンの資材が消化されるが、1トンにつき150グラムの希土類金属しか抽出できない。(右の写真:サックに回収されたマザーボード)

同和鉱業所ではその再生作業の運営にどれほどの費用がかかるかを明らかにしていないが、こうした効率の低い工程でも採算がとれている、とのことだ。全般的に同和鉱業所が工業用金属やエレクトロニクスの資材を再生することで得る実益は、去る6月30日四半期の決算で前期の3倍、65億2千万円(7千820万ドル)と、国際的な産業復興を成し遂げた。

同和鉱業所希土類金属に注目し始めた際、先決問題は強力なマグネットに使うネオジム(neodymium)の抽出法を開発することにあると目標を定めた。一例として、ネオジムは微小ながら携帯電話のスピーカー部品に使われている。
同和鉱業所の再生工場のセキヤ・ウタロウ部長は、その金属を実用に充分なだけ抽出することが当面の課題だと語る。(左の写真:同和鉱業所のセキヤ・ウタロウ部長が、マザーボードを溶解する前に検査中)

同和鉱業所にとっての難関は、再生用のエレクトロニクス部品が、世界中から調達しようとしても充分に回収できなくなりつつあることにある。それは、アメリカも含めて各国が、廃棄する器材から素材を回収することに目覚め始めたからである。中国は既に中古品コンピューターの基板(マザーボード)やその他の関連部品が国外に流出することを禁止してしまった。

同和鉱業所セキヤ部長「日本人がもっと希土類の再生に関心を持ってくれたらと思います。もし我々がこの分野で先駆者になれたら、中国が我々の技術を買いにくるに違いありません」と断言した。

2010年10月8日金曜日

イギリス人のユーモア

トヨタのテレビ・コマーシャルがスコットランドから届きました。
ご覧ください。

2010年10月4日月曜日

スプートニック;星の王子さま

アラン灰田
2010年10月4日、ホノルル発

スプートニック第一号(Sputnik-1 )

今から53年前の今日、1957年(昭和32年)10月4日、ソ連(ロシア)が人類最初の人工衛星スプートニック第一号を打ち上げて軌道に乗せ、世界歴史の『宇宙時代』が始まった。アメリカとソ連の冷戦時代がまだ尾を引いていた頃のこと、ソ連に遅れをとったアメリカの屈辱感は想像に余りあるものがあったようだ。

その3年後、大統領に就任したジョンF.ケネデイ(John F. Kennedy)が演説の中で「アメリカは近い将来、人間を月に送る」と宣言し、それが1969年の8月に実現した。生憎、当のケネディは1963年に暗殺され、その歓びを彼自身が体験することはできなかったが、やっと、アメリカは名誉を挽回した。


話は逸れたが、私は当時慶応大の学生だった。『人工衛星』などとは普段の我々の生活で実感が伴わなかったが、時々上空の彼方に小さな光の点が横切るのを見て感銘を受けていたのは事実だった。あの日、放課後の夕方、友人と人混みで一杯の新宿の繁華街をブラついていた。スプートニックのことが脳裏に浮かび、私はふと生来の悪戯っ気が起きた。

まず空を見上げ、立ち止まり、上空を指差しあれっ!スプートニックだっ!と絶叫した。


周囲にいた歩行者たちは立ち止まり「どこだ!どこだ!」皆、頭を上に向けて薄暗い夜空を見上げ、キョロキョロし始めた。その数人の動きが波紋となり、歩道八方の果てに至る雑踏まで広がっていった。そんな状態になると、群衆は私の存在などすっかり忘れ去っていた。それを幸いに、私は友人と二人、群衆から逃れ出て大笑いしたものだ。でもその時、スプートニックは実際に、上空を横切っていたかも知れない。

その数年後、1960年代、私はハワイ大学に在籍していた。授業よりも波乗りに熱中していたが、スプートニックのイメージが強烈に頭の中に残っていて、或る日それをスケッチしてみた。『いたずら描き』程度のものであまり自慢にはならないが、何故か捨てられず未だに手許に保存してあったので敢えて公表する。


最近、その『いたずら描き』をグラフィック・デザイナーの友人に見せたら、妙に感心して『星の王子さま』の著者が描いた挿絵の感覚にそっくりの夢がある、と言ってくれた。

『星の王子さま』

星の王子さま(仏: Le Petit Prince 英: The Little Prince)』は、フランス人の航空家、小説家、アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ(Antoine de Saint-Exupéry)の創作で、1943年(昭和18年)に出版されて以来、世界各国語に翻訳され、今日までに8千万部も売れたベストセラーである。日本語訳でも6百万部を下らないであろう。

話の概略は、航空家の『ぼく』が砂漠に不時着し、そこで小惑星からきた『王子さま』に出会う所から始まる。『王子さま』は『ぼく』が知らない星の世界の話をする。その話は奇妙な事象に満ち満ち『ぼく』を忽ち魅了した。『王子さま』の話は、たくましい想像の世界から、現実の世界の社会批評や風刺まで豊かに綴られ、読者を巧みに夢の世界に導いていく。


『王子』の話の一つにバオバブ(baobab:左のイラスト)の樹の話がある。『王子』が来た惑星は一軒の家ほどの大きさでしかない。そんな小さな星に火山が3つもあり、3本のバオバブの樹がある。バオバブは成長するに従って根が張って惑星を裂いてしまう。

私が『星の王子さま』の本と出会ったのはスプートニック騒ぎのずっと後、1960年代だった。だから、私の『いたずら描き』サンテグジュペリの影響は全く受けていない、ということを私の名誉のためにお断りしておく。


あれは、1960年代の後半、ロサンゼルスのアート・センターで学んでいた頃のことだった。デートしていたネブラスカ州出身のベッティ(Bette)という女子学生が、クリスマスの帰郷前に『王子』の本を置いて行った。本の扉を開けたら「私が大好きな本ですからアランに差し上げます。色々楽しい思い出をありがとう。サヨナラ」と書いてあった。後で判ったことだが、あの時、彼女は他の学生と恋に落ちていたようだ。『本』は、あれから何度も引っ越しをしている内、どこかへ失してしまった。

サンテグジュペリは1900年(明治33年)生まれ。第二次大戦中、フランス軍のパイロットとして活躍していたが、多分墜落か撃墜されたのであろうか、1944年(昭和19年)に行方不明となった。数年前、地中海でダイバーが彼の物の思われるブレースレットを発見し、永年の『不明説』に終止符が打たれた。


44才という若さで亡くなったサンテグジュペリは、数々の名言を遺している。その一つをご紹介する。

貴方の未来は予見することではなく、可能にさせることだ。(英訳:Your task is not to foresee the future, but to enable it.)」

2010年10月1日金曜日

尖閣諸島エレジー

去る9月の初め、中国の漁船が日本の海上保安庁の巡視船(上の写真)に衝突した事件で、中国人船長を逮捕し拘留したことが、中国と日本の外交問題に発展し、目下膠着(こうちゃく)状態だと伝えられている。本ブログでは報道関係の話題はマスコミに任せておく方針だったが、アメリカのマスコミでも取り上げて掲載していたので、読者の立場から観察してみた。編集、高橋


先ず、9月22日付けニューヨーク・タイムズに中国は日本が必需とする資源の輸出を停止し、緊迫感が高まるという記事がキース・ブラッドシャー(Keith Bradsher)の香港発報告で掲載された。この時点では、中国人船長はまだ拘留中だった。


この報道の要点は、日本が必需とする資源サマリウム(samarium: rare-earth element/metal: 希土類元素/金属:右の写真)が持つ潜在価値や影響について説明している。

世界中でサマリウムは中国で主に採掘され、日本が最大の買い手である。その買い手はトヨタを始め、ソニーのようなハイテク産業が主流で、トヨタの場合にはハイブリッド車プリウスのプロペラ部品(左下の写真)には欠かせない素材なのだ。その他、太陽熱吸収ガラスの製造にも欠かせない。そのサマリウムの輸出を中国が停止したら、日本のハイテ
ク産業は完全にマヒしてしまう。差し当たり戦国時代だったら『兵糧(ひょうろう)攻め』に匹敵するであろう。

中国の主導者の一人は「アラブ諸国が世界の石油の鍵を握っているとしたら、中国は世界の希土類元素の鍵を握っている」とうそぶいている。当面の問題は中国対日本に限られているように見えるが、その影響はアメリカを始め、ヨーロッパのハイテク産業にも波及する。

アメリカでもハイテク産業への影響は大きいが、特にサマリウムを必要とするのは、ミサイルの耐熱部分に使うからである。これは軍需上の必要性からで、アメリカでは常に優先される産業であることは言うまでもない。アメリカではカリフォルニア州、マウンテン・パス(Mountain Pass)で
サマリウムを採掘していた時期もあった。多分経費の負担が重かったせいであろうか、2002年に休業した。今になってそれを再開する計画が起きている。だが問題は、アメリカで採掘すれば、労働賃金の高い国のこと、当然価格の面で中国産に競合することはできない。

それを見越してであろうか、中国では近年
サマリウムの価格を釣り上げ、この報道の時点では1ポンド(0.45キロ)に付き32ドルにまで値上げされた。

その2日後、9月24日付けに発表されたニューヨーク・タイムズの社説中国、日本、海によると、中国と日本とは、昔から東シナ海で隔てられていたために外交関係上、摩擦が少なくて済んだ。しかし、その海の真ん中で一旦コトが起きると領海問題が浮上し、その解決には議論が百出して中々結着が付け難くなる、とある。
正にその通りで『領海』を巡って目下悶着が進行しつつある。

では、中国漁船と日本海上保安庁の巡視船が衝突した海はどの国の領海なのであろうか。その近くにある尖閣諸島の歴史を探ってみた。 (上の地図:九州、台湾間の琉球列島と南西諸島)、(下の写真:上段左から、魚釣島、久場島;下段左から、大正島、小島、小島から成る尖閣諸島)

★ 1895年(明治28年)に遡る。日清事変の年である。日本は清国(中国)と戦って勝った。その賠償として、東シナ海の東、すなわち琉球諸島と台湾を獲得した。当時の調査によると、琉球列島と台湾の中間にある尖閣諸島は無人島だったので標識を立てて日本の領土とした。

★ 日本がアメリカに敗れた1945年から6年後の1951年(昭和26年)、占領軍の施政下にあった。更に20年後の1971年(昭和46年)6月、沖縄返還協定が成立すると同時に
尖閣諸島も日本へ帰属した。

★ それまで、中国も台湾(中華民国)もその海域にあまり執着はなかったが、1968年(昭和43年)頃、東シナ海に石油およびガス田の開発計画が進められるにつけ『領海問題』が浮上してきて、1970年には台湾が
尖閣諸島『青天白日』旗を立てたりした。

★ そればかりか、南北朝鮮も領海権をほのめかし始めた。

更に9月26日付け、マーチン・ファクラー(Martin Fackler)の寄稿日本側、中国に(巡視船2隻の)損害賠償を要求がニューヨーク・タイムズ紙上に掲載された。

その記事によると、日本側は中国に対して、破壊された巡視船の修繕費を要求していたが、サマリウムの輸出停止という圧力に屈し、拘留していた中国漁船の船長を釈放した。それにも拘らず、中国政府は日本側に謝罪を要求している、と伝えていた。 (右の写真:右から2番目が釈放され英雄となった中国人船長ザン・ウィショング[Zhan Qixiong])

管直人首相はそうした中国の態度を「遺憾(いかん)である」と表明していた。これは管首相が弱腰外交と非難されまいと考慮した上で発した慎重な表現であろう。同時に政府当局としては『衝突事件』を日中外交の焦点にまで拡大させないよう、中国人船長の釈放は、地方検察(沖縄県、那覇地検)の判断で行ったので政府の権限ではない、と関与の責任から逃れる策を図っている様子だ。 (左の写真:記者会見で答弁する管直人首相)

不況はともかく、経済的にはアメリカに次ぎ、世界で第2位の中国と第3位の日本という大国間で起こったこの紛糾した事件の解決には可成り難航が予測される。そして、中国が経済的な強みを切り札として外交を有利に進めるであろうことは明白である。

こうして事件の経過を観察していると、奇怪な疑問が次々と涌き出してくる。


★ 先ず事件自体、海上保安庁は中国船が体当たりしてきたと言い、中国側は日本の巡視船がぶつかってきたのだと主張している。その時のビデオがある、ということだが、まだ公開されていないようだ。真相は今のところ『薮の中』だ。


★ 船長を逮捕したのは法を侵したたからであろう。裁判も判決もなしに違法者を釈放とは、自ら法をないがしろにしたことになるが如何なものだろうか?


★ この事件で改めて領海とか領有権がいずれの国にあるのか、という疑問が生じてきた。前述したように歴史的に見ると
尖閣諸島は日本の領地であり、その辺りの海域は日本の領海であるようだが、その決定的な領有権が国際的に認められているのだろうか?その辺をはっきりしてもらいたいものだ。

★ この際、日本にとって最大の課題は、たかが『土』同然の希土類元素を売ってもらわず、他の方法でハイテク技術を存続させる方法を考え出すことだ。日本には世界に誇る冶金技術があることを忘れないでもらいたい。

★ 政府要心や経済人たちが、利害損得を優先させて『道理』を放棄するという図は、見るのも聞くのも耐えられない。


一般的に、日本が中国の圧力に屈服するであろう、という悲観的な予想が潜在しているのは残念なことだが、ここは、管内閣外交手腕の見せ所ではあるまいか。