2010年9月27日月曜日

偉大な発明品よ、さらば!


トーマス・エヂソン(Thomas Alva Edison:上右の写真)と言えば、誰でも『発明王』として知っている。蓄音機(ちくおんき:レコード・プレーヤー)映写機を始めとして、アメリカの特許1,093件を保持していた、というから並大抵の発明家ではない。中でも最大の発明は電球であろう。正確に言うと白熱電球(Incandescent light bulb)』だが、この電球の発明ほど家庭の必需品として世界に普及した商品はあるまい。

エヂソンは1847年(弘化4年)2月11日生まれ、1931年(昭和6年)10月18日、84才の輝かしい生涯を閉じた。エヂソンが数々の発明を生み出した研究所(上中の写真)はニュージャージー州のメンロー・パークに所在していたので、エヂソンメンロー・パークの魔法使い(The Wizard of Menlo Park)』と呼ばれていた。今日、同地はエヂソン市と改名され、研究所の建物は内部の設備や道具を当時のまま保存した上で、生前に親交が深かったミシガン州ディアボーン(Dearborn)、自動車王ヘンリー・フォード(Henry Ford)の博物館に隣接するグリーン・フィールド・ヴィレッジ(Greenfield Village)に再建され、一般の観覧に供している。また、その複製がカリフォルニア州シリコン・ヴァレー(Silicon Valley)発明製作所(invention factory)』の一部として建設されている。

さて、今回の話題は電球に限る。


エヂソン白熱電球を発明して一部の人々に公開実験してみせたのが1879年(明治12年)12月(上左の写真)、その特許申請が許可されたのが1880年(明治13年)1月27日(右の書類)。しかしこの前後、他に数人の発明家が名乗りを上げていたため、特許許可の撤回や、他の発明家との談合など、あまり世間に知られていない紛糾があったようだが、結局、ヂソンの電球には熱線の耐久力が高いことが認められ、実用的に生産されるようになった。

エヂソンの電球は、熱線の燃焼を防ぐため内部を真空にしていたが、その他には、アルゴン、クリプトン、キセノン、ハロゲン(左の写真)等、さまざまな特殊ガスを封入した電球も生産されていた。

こうして今日まで130年余りもの長期間、電球は世界各地のどの家庭でも必要欠かすべからざる必需品として愛用され、消耗され、生産され続けてきた。その必需品『電球』に10数年前あたりから静かな革命が起っていた。蛍光電球の出現である。これは蛍光灯の原理を『電球』に応用したものである。


『蛍光灯』そのものはさして目新しい製品ではない。オフィスや工場、さらに家庭でも可成り以前から使われていた。『白熱電球』に比べて明るく、長持ちするからという理由が主だった。難を言えばスイッチを入れてから点灯するまで僅かながら間があった。そのため、頭の回転がゆったりしている人を『ケイコウトウ』と多少軽蔑をこめて呼んでいたこともあった。最近ではこの『遅れ点灯』も改良され、死語となったのは喜ばしい。


『蛍光灯』のもう一つの難点は、小型化が難しかったことである。それを克服するために管を細くし、螺旋にすることで解決し発売された。(右の写真の左)それが約10年前、『白熱電球』に比べ価格が倍以上だったが、長持ちし、電力の消費が少ない、という長所が買われ、多くの家庭が徐々に『白熱』から蛍光に切り替えていった。

時は正に省エネ時代である。メーカーの宣伝もさることながら、時代に敏感な消費者たちが『蛍光』の特性を認識し、口から口への伝達で広がっていき、最近では『白熱電球』は小売店で売れ残ったまま買い手がいなくなった。 かくして先週、電気製品の大手メーカー、ゼネラル・エレクトリック(General Electric)社『白熱電球』の生産中止を発表した。(下の写真はマンハッタンの夜景。この光の何パーセントが未だに『白熱電球』を使っていることであろうか?)

これも進化というものであろうか。 ガソリン自動車の生産中止発表が聞かれるのも満更『空しい夢』でもなさそうだ。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

僕は『蛍光灯』の大フアン。電気代にケチだったせいもありますが、『白熱』より明るく、長持ちするのが何より気に入っています。「光が冷たい」と嫌う人には、暖色のチューブと、寒色のチューブの混用を勧めています。太陽光線に近い効果も得られます。