2010年6月2日水曜日

Butoh:踊り続けて大往生

追悼:舞踏(Butoh)を世界に広めた大野一雄

踊りに情熱を傾け、その舞踏Butoh(ブトウ)』として国際的に広め、臨終の間際まで踊り続けた大野一雄(おおの かずお)が、昨6月1日、呼吸不全のため103才で大往生した。

大野一雄は、1907年(明治40年)生まれ北海道出身、日体
(旧、日本体育会体操学校;現、日本体育大学)在学中から舞踏家を志し、旧制女子中学で体操教師を勤めていた頃にモダン・ダンスを修得した。第二次大戦の直前に勃発した日中戦争に召集され転戦したが、命永らえて帰国、1949年(戦後4年目)に舞踏の初公演を行った。

1959年、同好の士、土方巽(ひじかた たつみ)と前衛的な舞踏のスタイルを創りあげて広め、後継者が次第に増えていった。同好といっても、それは二人の目標や思想が同じ方向にあった、ということで、舞踏そのものでは二人の個性や表現は全く異にしていた。暗黒舞踏と呼ばれた土方の陰鬱な表現スタイルに対し、大野は即興性を重んじた魂の舞踏というスタイルで無言の発言法を創った。

いずれにしても単純に彼らの舞踏の特長を形成過程として定義付けるならば、両者共にのスタイルを基本とし日本舞踊モダン・ダンスの技術を取り入れパントマイムによる無言の思想表現で訴える、とでも言ったらご理解いただけるであろう。また踊り手の肉体的な表現を重んじていたので、肌を露出する必要に迫られ、しばしば『猥褻(わいせつ)』な踊り、と批判されたこともあった。


大野は、100才を超えても公演を続け、つい最近まで認知症と闘いながら舞踏への情熱を持ち続けていたと言う。

大野や土方の舞踏や経歴を全て叙述するにはスペースが限られ過ぎている。ご興味があったら、そうした著書や資料は容易に入手できると思う。何はともあれ彼らの舞踏が如何に西欧の舞踏家たちを刺激したかという様子の一部を写真で見て頂こう。また何と言っても動きが生命の芸術である以上「絵に描いた餅」だけでは物足りない方々のために。動画ビデオのリンクをご利用の上お愉しみ頂きたい。


ワシントン州シアトル市街の路上で

ケネディ・センター、オペラ・ハウス(Kennedy Center Opera House)で公演された
山海塾(さんかいじゅく)の『キンカイ、ショウネン


2006年春、この『敷居(Threshold)』は、ロード・アイランド・インディペンデント・アーチスト(the 1st Annual Rhode Island Independent Artists)主催によるもの。公演は、アンダリィ・ダンス・カンパニー( the Andary Dance Company)のニュー・イングランド巡業中で、アリス・コックス(Alice Cox)とエレン・ゴデナ(Ellen Godena)の舞踏。

2006年夏、この『シダに囲まれて(Fern Study)』は、アンダリィ・ダンス・カンパニー( the Andary Dance Company)の基金募集運動の一部。エレン・ゴデナ(Ellen Godena)の独演。

2007年の春、ボストン・ブトウ・ダンス・シリーズ(the Boston Butoh Dance Series)で公演された『フェロム(Phelom)』。エレン・ゴデナ(Ellen Godena)の独演。

2007年11月、ボストンで、モーリン・フレミング(Maureen Fleming)の独演

2008年7月、『天賦天識(てんぷてんしき:『この世の中に生まれ出ること自体が偉大な才能: Being Born Into This World Itself Is a Great Talent』)

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以下はYouTube(ユーチューブ)のサイトで、大野一雄土方巽、その他の関連した舞踊のビデオが多数用意されています。一本は、平均3分前後です。お選びになってクリックすると、サイトに繋がります。

★ 舞踏、その1
★ 大野一雄の舞踏
★ 土方巽をインタビューと、彼の舞踏

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

公演は鑑賞して愉しい面もありますが、舞踏をする歓び、恍惚感の方が遥かに大きいと思います。