2010年4月12日月曜日

自殺を図る人との対話

マーチン・ファクラー (Martin Fackler)
2009年12月17日付、NYTから

東尋坊(とうじんぼう)、そのそそり立つ絶壁、その下に荒れ狂い、打ち砕け、しぶきを上げる怒濤、翠色(みどりいろ)の日本海、それは日本が誇る絶景で、旅行者たちに最も人気のある観光地である。しかし、その土地の住人シゲ・ユキオ氏(上の写真、左端に立つ)にとって最大の関心事は、その有名な断崖ではない。彼がその凸凹な岩道を歩きながら探し求めているものは、孤独な人影である。それは通常、張り出した絶壁の先端にうずくまっている人影である。 そうした人影は、この東尋坊の絶景を賞賛する以外の目的で辿りついた曰くのある人に違いない。

そうした人達の旅路の果ての目的は、そこで自分の命を絶つことにある。世界で最も多く自殺者を輩出する国という悪評が高い日本で、東尋坊は特に自殺の名所としても知られている。シゲ氏は元警官で当年65才、引退以来の5年間、東尋坊の巡回を日課とし、潜在的な自殺者を見付け、その意図を思い止まらせてきた。

そうした彼の努力の副産として、再び自殺者が増加の傾向を示している実態が明るみに出た。警察の統計では、今年(2009年)の自殺者数が、2003年の最高記録3万4427人に迫る気配にあることが判った。言い換えると、一日平均95人が自殺していることになる。世界保健機構(The World Health Organization: WHO)では、日本人の自殺者数はアメリカ人のそれに比べて3倍の高率を示している、と指摘する。


シゲ氏と彼に同調するボランティア達の活動により、今日までに222名の潜在自殺者が救われた。こうした彼らの活動が全国的に喧伝され、普段は余り問題として取り上げられなかった『自己破滅の行為』という深刻な社会現象が取り沙汰されるようになった。その一方で、シゲ氏の動機が人道的な立場に基づいた行動であるにも拘らず、因習的な日本の社会から批判の的にもなっている。

「日本には昔から『出る釘(杭)は打たれる』という言い習わしがあります。」シゲ氏はそう前置きして、地方行政が、自殺予防の対策に消極的であることに苛立ち、自発的にパトロールを買って出たのだ、と語り「私は言ってやりました。私は『出る釘』になる覚悟だから打てるものなら打ってみろ!ってね」と胸を張った。


公共保健の専門家は、伝統的に日本人が自殺を、封建時代における武士の切腹から始まって誇り高い逃避としてロマンチックな行為に祀り上げてきた心情にも責任がある、と非難する。しかし、今日の自殺達の主な動機は、長期に亘る不況が元凶である。近年、自殺者の数が目立って増加したのは1998年(平成10年)、日本の企業が誇りにしていた終身雇用の鉄則が初めて崩れた時期からである。以来、収入や職の保障制度が崩れ続け、従って自殺者も増加の一途を辿ってきた。

ここ数年来の世界的な不況の煽りで、状況は更に悪化した。鳩山由紀夫首相が10月に発表した政策演説の中で自殺現象に言及しお互いの助け合いを呼びかけた。しかし、専門家に言わせると、政府がこれと言った具体的な対策を講じない限り事態の解決にはなるまい、と悲観的だ。


概して、自殺を予防することは容易な仕事ではない。特に日本では困難な仕事である。不況の二字は話題として日本で禁句となっている。経済的にも余裕がないから家族を扶養することは勿論、友人を扶助するゆとりも無くなってきた。日本人の多数は自殺公共保健の問題としてではなく個人的な決断によるものだと考える傾向があるので真剣に取り組もうとはしない。所沢にある国防医科大学(The National Defense Medical College の逆訳)で自殺の調査をしている行動科学(Behavioral Science)部門タカハシ・ヨシトモ教授「アメリカでは一般大衆運動(grass-root action)から社会の関心を高めていますが、大方の日本人は、政府が何とかしてくれるだろうと待っているだけです」と嘆く。


東尋坊を管轄している福井県の小都市サカイ市役所の係員達は、断崖に沿って外灯を2カ所に設置し、その下に公衆電話とそれに必要な10円玉を多数、全国自殺者の緊急専用線を通じて相談できる用意を備えている。

いずれにしても、市の係員によると、今年は最悪の年で、警察の記録によると、140人が自殺を目的として東尋坊を訪れたということだ。これは、例年の2倍に及ぶ数である。その殆どは、警官か近くに居合わせた人によって自殺を未然に思い止まらせた。他には何か別の理由で自殺を考え直した者もいたようだ。


上記の140人には、
シゲ氏とそのグループが防止した54名の未遂者は含まれていない。市当局は、昨年の自殺者が15人に止まり、今年は13人に止まった、とシゲ氏らの援助運動の成果を認めている。

シゲ氏の防止方法は単純だ。始めに述べたような人影を認めた時、ゆっくりと近付き、気楽な世間話を始める。人影は、、、大抵が男性で、会話が進むと間もなく泣き崩れ、見知らぬ人が自分の悩みに耳を傾けてくれたことに感涙する。


「彼らがそこに踞っているのは、無意識ながら誰かが自分の悩みを聞いてくれたら、と望んでいるのです」シゲ氏は推測している。


東尋坊の警察署に42年間勤務した後半の頃、シゲ氏は海面に漂っていた屍体を全て拾い上げ、背筋が寒くなった、という。
また或る時は、東京から訪れてきたという老夫妻の自殺を思い止まらせたことがある。二人を市役所へ引き渡した後、係官が彼らに何がしかの金を渡し、隣の町へ行くように説得した。数日後、二人から手紙(多分儀礼的な礼状であろうか)が届いた。その手紙は、二人が隣の県(日本海に面した福井県の隣は京都府か石川県)で自殺する直前に投函されたものであった。


「お金を上げて他所へ追いやるのでは救助にはなりません。官僚のお座なりの冷たさには腹が立ちます」シゲ氏が話し始めた時、彼のケイタイ電話のメロディが鳴った。シゲ氏はクリスチャンではないが賛美歌の素晴らしい善意(Amazing Grace)』のメロディだった。彼と77人のボランティア達は、東尋坊の断崖を一日に二、三周パトロールし、潜在自殺者たちのために食料、宿泊施設、を援助し、必要とあれば職探しもする。


昨年、或る日の午後、シゲ氏が身投げの要所3カ所の断崖を検閲していた。いずれも26メートルの絶壁である。その時は、団体の観光客がガイドの旗に従って移動していた。ガイドが携帯マイクを使い大声で、ある悪い僧侶が落ちて絶命したという逸話がある断崖の説明をしていた。そうした風景の中で、孤独な人影は逆に目立つ。

その人影が、たまたま29才のヤマオカ・ユタカだった。彼は
職工の仕事を失い、東尋坊に辿り着き無言のまま断崖の上で膝を抱えて自殺を図っていた。ヤマオカの様子を見掛けたシゲ氏は、近付いて話しかけた。たっぷり2時間も話し合っていただろうか、シゲ氏は、ヤマオカの気分が落ち着くまで無料で、という条件でアパートを提供した。ヤマオカシ ゲ氏の親切に甘えた。彼は間もなく仕事を見付け、正常の生活に戻り、今年になり、助けられた礼をしに、断崖の近くにあるシゲ氏の小さなオフィスを訪ねてきた。

「私は救われた、と実感しました。私は生きていけると感じたのです」当時を思い出して語るヤマオカの声は、消え入りそうだった。そして「それまでの私は、恐怖と不安感がつのるばかりだったのです。誰も話し相手がいませんでしたので、、、」と告白した。


シゲ氏の行動は、同地での拒絶反応もある。特に同地の観光協会はシゲ氏の運動が観光振興の障害になると考えているようだ。だが、シゲ氏の意志は固く、そうした批判に惑わされることはない。


シゲ・ユキオ氏「私は、政府が積極的な対策を立てて本腰で救済運動を展開するまで行動し続けます。政府の無為無策の陰で貴重な人命が失われているのを、黙って見ているわけにいきません」と断言した。

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付記:毎日新聞、2010年4月8日付け、憂楽帳から

命を語り合う旅


笹子 靖
(ささこ やすし)


「命の大切さについて、現地の人たちと語り合ってきます。」20才の島脇麻美(しまわき まみ)さんは、そう話してアフリカ東部の国、ウガンダへ旅立った。この春か ら福島大を1年間休学し、あしなが育英会が中心になって現地に設立したエイズ遺児支援施設で、子どもたちの心のケアや教育の研修活動を行う。


(彼女が)7才の時、父親が自ら命を絶ち、自死遺族として辛い体験を重ねた。同情されたり、貧しいと思われるのが嫌で誰にも自分の境遇を話せなかった。だ が高校生になり、あしなが育英会での活動で同じ悩みを持つ同世代と出会って、ようやく自分の居場所を見つけた気がした。

アフリカに魅かれたのは、貧困や病気で過酷な生活を強いられる人たちが、家族のように何でも相談し、支え合って暮らしているから。苦しい時に周囲に 助けを求められず、自殺者が年間3万人を超える日本の社会とは対照的に見えた。「帰ってきたら、必死に生きる人たちのことを、多くの人に伝えたい。」そんな 思いも胸に、島脇さんの新しい旅が始まった。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

前回の『自閉症』と『自殺』とはなんらかの関連があるように思えます。いずれの問題も、周囲の『愛』、『理解』、『思いやり』そして『話し合い』の機会を与えることによって、救われるのではないでしょうか。