2010年3月19日金曜日

追憶:フェス・パーカー

アラン灰田 (Alan Haida)
2010年3月19日、ホノルル発

今から15年か20年ほど前、中部カリフォルニアで地震の被害があった。その直後私は、仕事でサンフランシスコ近辺に滞在していた。たまたま、ホノルルで不動産を扱っている友人から電話を受けた。彼女から私への提案は、サンタ・バーバラ(Santa Barbara)に近いモンテシト(Montecito)へ飛び、ホテルを売りに出しているオーナーに会って、買い手を捜してあげてくれ、ということだった。


当時はまだバブル崩壊前で、日本人が矢鱈に海外の不動産を買い漁っていた時期だった。小さな飛行機でモンテシトに着き、オーナーのフェス・パーカー(Fess Parker上の写真)に紹介され、彼は私を案内してホテルの施設を見せてくれた。その途中で、滞在客が彼に挨拶をし、サインを求めていたのを見て、改めて彼が、かつてデヴィ・クロケット(Davy Crockett) や、ダニエル・ブーン(Daniel Boone)の役を演じた有名な俳優であったことに気が付いた。

その後で、地元では由緒あるプライベート・クラブのサン・シドロ・インで晩餐に招待された。私のパーカーに対する印象は、温厚で立派な人柄という一語に尽きる。


彼の訃報を読み、初めて彼があの近郊に1,500エーカー(約6.1平方キロ)ブドウ園(上の写真はその一部)を持ち、上質のワインを生産していたことを知った。謹んで紳士フェス・パーカーのご冥福を祈る次第である。

フェス・パーカーの略歴

1924年8月16日テキサス州フォート・ワース(Fort Worth)に生まれ、サン・アンジェロ(San Angelo)郊外の農園で育った。第二次大戦終了の直前、海兵隊に入隊、パイロットになりたかったが、6フィート6インチ(1メートル98センチ)という長身のため不適格となった。

1950年、復員兵援護奨学金でテキサス大学(University of Texas)を卒業。余剰金があったので南加大学(University of Southern California)の演劇部を専攻したが、その頃から小さな役柄を数々与えられたため、学業に専念できず修了できなかった。


1953年、ウォルト・ディズニーの劇映画、アメリカ開拓時代の英雄デヴィ・クロケット(左上)役に抜擢され、世界的に大当たりした。また1954年から1955年にかけて、同名のテレビ、シリーズにもクロケット役で連続出演、大スターの地位を確立した。役柄で被っていたアライグマの帽子は、子供のファンに受け、流行を生んだ。漫画のチャーリー・ブラウン(Charlie Brown)までがその帽子を被っていた程である。

続いて1960年代には、これもアメリカの開拓時代の英雄ダニエル・ブーン(右上の絵の先頭を歩く人)役を演じ、入れ替わった若年層から熱狂的なファンを獲得した。


こうした相次ぐ成功で得た財で、パーカー(左の写真、後列左から3人目)はカリフォルニア州、サンタ・バーバラ郡のサンタ・イネツ峡谷(Santa Ynez Valley)に714エーカーの土地を購入し、それ以来彼と彼の家族の生活が一変した。1989年当時、フェスと息子のイーライ(Eli:左の写真の左端)はブドウ園を作り、収穫物を近隣で販売していたが、娘のアシュレィ(Ashley左の写真、後列左から2人目))「お父さんはテキサス生まれのテキサス育ちだから、計画は大きくしましょう」と提案し、現在のロス・オリヴォス(Los Olivos)にある1,500エーカー(約6.1平方キロ)のブドウ園となった。

3月18日に死亡。85才。死因は公表されていない。

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◆ ダニエル・ブーンの歌:2分
◆ ブドウ園の展望:6分余り

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