2010年1月11日月曜日

言葉は生きている:その2

[はじめに:この原稿は、私が1977年『今浦島』よろしく15年振りで帰国した時に受けた故国の印象が軸になっています。書いたのは1979年、モービル文庫1980年1月号に掲載されました。30年も古い話なのでためらっていいましたが、北村隆司さんが書いた『言葉と世相』の後を受けて再録する価値があると判断しましたので公開いたします。高橋

言葉は変身する

高橋 経(たかはし きょう)
1979年秋

「日本語が乱れている」としばしば耳にする。


例えばある日、ある日米合併で経営する広告代理店で若手の営業部員が上司に報告した。

「今日のミーティングで、X社のニュー・プロダクト『X』に関するアドについてブリーフィングを受けました。『X』のローチングは2月、バジェットはAVメディアに80パーセント、プリント・メディアに20パーセント。コンペチターはY社の『Y』で、マーケット・シェア、40パーセントを占め、対するわがクライエントX社は36パーセントですので、この際Y社のシェアを上回るべきストラテジーとフレッシュなクリエィティブ・アプローチがリクワイアされます。」

これを翻訳すると;「今日の得意先での会議で、X社の新製品『X』の宣伝に関する指示を受けました。『X』の発売予定は2月、広告予算は電波媒体に80パーセント、印刷媒体に20パーセント。競合商品はY社の『Y』で、市場占有率は40パーセント。対して『X』は36パーセントですので、この際『Y』を上回るような広告戦略と新鮮な創造的制作が要求されます。」

まさか日常の会話がそれ程英語に侵略されてはいまい、とお疑いの向きもあるだろうが、私の周囲ではこうした会話が日常となっている。テレビ・コマーシャルに登場する外人タレントについては視聴者が既にお気づきであろう。オーソン.ウエルズ(Orson Welles)、カーク・ダグラス(Kirk Douglas)、スチーヴ・マクイーン(Steve McQueen)、ジャック・ニクラス(Jack Nicklaus)等の有名人を始め、無名のタレントたちがお茶の間に続々と侵入し、日本人消費者を説得しようとかかっている。


かくして、宣伝広告を担当する我々が矢面に立って、日本語を乱す元凶と糾弾されがちだ。しかし私自身、母国語である日本語は大いに尊重してきたし、これからも大切にしたいという気負いもある。この私の姿勢を前提として、果たして広告業界だけが日本語の乱れの元凶なのだろうか、と考えてみた。


まず今日の日本で文部省が制定した日本語だけが正しく、それ以外は乱れた言葉であると極め付けたら、恐らく大半の日本人が乱れた言葉を使っていることになるだろう。しからば『古代の日本語』『正しい日本語』と同義語であるなら、文部省から検定済みのお墨付きをとっている教科書の日本語は、古代の日本語ではないという理由で『正しからざる日本語』という理屈になる。のみならず、文部省の日本語は、昭和ヒト桁生まれの私世代が小学校から大学まで学んだ僅か20年前後の間に三転四転し、その都度右往左往させられた。旧漢字から当用漢字へ、名遣から名遣へ、そして当用漢字大巾制限の時代から、大巾緩和の時代になり、ついでに官僚文字までが幽閉から恩赦をうけて解放された。


こうなると『日本語の乱れ』は英語の侵略を糾弾する前にも問題がありそうだ。侵されたと言えば、遡って江戸時代には漢学者たちによって、英語ならぬ漢語という外国語がもたらされ日本語化してきた。今日我々が使っている熟語の大半は漢語から発した言葉だが、英語の侵入ほど違和感がないから問題にされないのであろう。


競争の激しい宣伝業界で英語がおびただしく氾濫しているのは実情だが、こうした日米(英)語が混合した表現の現象は、日本語が欧米化にある氷山の一角に過ぎない。氷山の一つに和製英語がある。


その傑作の筆頭はナイターであろう。英語国民の知らないこの『ナイター』という和製英語に逆らってナイト・ゲームと主張してみたところで孤立するのがオチであろう。


1950年代の後半、日本信販株式会社は、その不動産部が開発した分譲アパートコーポラスという和製英語を与えた。開発は順調に進み『コーポラス(Corporousなる新語は英語の市民権を得てウェブスター辞典に収録され、同社は我が意を得たりと喜んでいた。『分譲アパート』がブームに乗り、他社がマンションと命名した。『コーポラス』が意匠登録してあったので使えなかったせいもあるが、今日では『マンション』が一般の通称になってしまった。しかし、である。『マンション(mansion)』というと、私の脳裏には丘の上にそそり立つ大邸宅のイメージが浮かんでくるのである。(右下のイラスト:高橋 経)


乗用車の後部を延長して荷台を広くした車をアメリカでは『ステーション・ワゴン(station wagon)』と呼んでいるが日本ではライト・バンと呼ぶ。アメリカで『バン(van: ヴァン)』は、積載量が大きい商業車のことだが、日本のヴァンはやや小型でマイクロ・バスと呼んだり、時にはワゴン車と呼ぶから話が行き違う。

ハート、スペード、ダイヤ、クラブの52枚から成る『プレイング・カード(playing cards)』が日本に上陸して以来、いつの間にかトランプという名で通用してしまった。本来『トランプ(trump)』とはブリッジ・ゲームにおける取っておきの切り札のことである。


あるビール会社が、空き缶をポイと捨てるのを止めさせようというキャンペーンのスローガンにClean Up Japan!ときた。台風が日本列島を縦断して、家も畑も吹き飛ばしてしまうという感じだ。英語を使うなら、むしろKeep Japan Clean!としてもらいたかった。


環境浄化でもう一つ、専売公社がしばらくの間Smokin' Cleanというスローガンを使っていた。多分言いたいのは吸い殻を捨てるなということだと思うのだが、文法的に意味不明である。


言葉を短縮したがるのは、日米国籍を問わない傾向だが、日本流に短縮された英語はアメリカ人には通じない。ビルと言ったら『ビルディング(building)』のことではなく、人名の『ビル(Bill)』か請求書の『ビル(bill)』と思われるであろう。ロス・アンゼルス(Los Angeles)』ロスというスペイン語の冠詞だけで呼んでいるが『エル・エイ(L.A.)』としなければアメリカ人には通じない。サンフランシスコ(San Francisco』シスコでなくフリスコ(Frisco)』で通っている。


Tシャツが流行している。その殆どに明らかに和製英語と思われる珍妙な表現がプリントされている。その他ボストン・バッグ、ノートブックから文房具、買い物袋などにも同じ現象が起こっている。どうやら彼らにとっては意味や文法的な正誤にはお構いなく、欧米的な雰囲気を身の回りにただよわせて満足しているという節が見える。

制服、制帽の学生時代を過ごした私にとって、特に気になるのは、例えばUCLA(University of California, Los Angeles)など、特定の学校の頭文字をプリントしたシャツまたは手廻り品である。私の時代に外部の青年がその学校の制服を着ていることが露見すると『てんぷら学生』と罵られ、何らかの制裁を受けたものだ。UCLAのようなマンモス大学にもなると『てんぷら学生』であろうとなかろうと目に角を立てず、鷹揚に学校のPRになると心得て、むしろ歓迎しているのかも知れない。


1960年代の後半、アメリカに日本車が輸入され始めた頃、その宣伝を担当していた責任者に車名の提案をしたことがある。私の提案とは、かつての軍用機の名『隼』、『雷電』、『飛竜』や、力士がつける『大鵬』、『嵐山』といった類いの名称であった。黙って聞いていた彼は「それでは売れません」と、一言のもとに私の素晴らしい提案を却下してしまった。15年振りに帰国し、日本の欧米化を目の当たりに見た私は、なるほど雷電という名の車は売れまい、と納得した。


それでも私はコピーライター達が創った和製英語に抵抗を試みていた。しかし或る日、遂に私の『破局』が訪れたのである。新発売のアルコール飲料に、担当のライターがエキサイト・リキュール(Excite Liqueur』というスローガンを提案した。私は首をかしげ『エキサイト』は動詞だから『エキサイティング』と形容詞にするべきだし『リキュール』は英語ではない」と忠告した。彼は私を哀れむように「これは英語でもフランス語でもありません。日本人の消費者に受ければいいんです。つまり日本語として理解してください」と託宣した。私は返す言葉を失った。


日本で乱れているのは日本語ではなく、どうやら外国語のようだ。

2 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

言葉を大切にしましょう。

時の流れに従って言葉は進化(変化)するのは成り行きです。でも『目立ちたがり屋』が作る造語の大半は、聞いただけで身の毛がよだちます。

JA Circle さんのコメント...

「きらく会」の和田啓道さんからです。
30年前は若かったせいもあって、和製英語が気になって仕方ありませんでした。でも、おっしゃるとおり「欧米的な雰囲気に満足している」消費者が減らない(増えた?)以上、仕方ない現象だと、今では達観しています。ただ、欧米人の手前、少々恥ずかしい気持ちに変わりありませんが。日米開戦の半年前までNYCに住んでいた両親(私は6歳)がすでに「ロス」、「シスコ」を口にしていたことを思いだすにつけ、和製英語の歴史はかなり古いといえます。

私が、6年のNY駐在を終えて帰国して間もない1970年のこと、大阪の地下鉄の若い乗客が手にしていたボストン・バッグのブランドが Madison Square Garden だったので珍しいことだと驚いたのでしたが、その後、同じバッグが氾濫していることが分かり、これも「欧米的な雰囲気に満足している」のだったのだと思います。(和製英語ではありませんが)

ところで、日本語化した英語の数はいくつほどあるのかご存じではありませんか?ゴマンとありますね。例えば、マニフェストの方が政策綱領よりも通りがよいと判断したのでしょうね。
和田啓道