2010年12月31日金曜日

行く2010年から、オピニオン20選

12月31日付け、NYTから転載

オピニオン、、、『社会評論』としておきましょう。専門の評論家だけでなく、読者の意見も含まれていました。ここでは、そのアート(イラスト、写真など)で表現された短評をご紹介いたします。各項目が原文とリンクされていますから、クリックすると詳しい評論がご覧になれます。蛇足ですが、今、日本は元日、アメリカ時間は日本より一日遅れて大晦日(ニュー・ヤーズ・イヴ)です。編集







ファースト・チャーチ・オブ・ロボティックスミケランジェロの壁画からモンタージュ:Ji Lee


通訳デザイン:Stephen Doyle (註:米軍が中東で雇った通訳の多くが無資格者で、いい加減な翻訳をしていた事実が明るみに出た)


オバマ大統領『一期限り』という噂の神秘写真合成:Paul Sahre & Jonas Beuchert

地球の温暖化と異常な気象イラスト:Sophia Martineck

『環境を汚染』した罪を告発する(註:メキシコ湾の油田漏洩事故)イラスト:Edel Rodriguez

美術館が財政難を理由に所蔵の絵画を売却する場合イラスト(マチス風):Monica Aichele 
(読者の投稿)


正体不明の賊が横行するインターネットの功罪写真構成:Jennifer & Sandi Daniel

孤立したパレスチナイラスト:Daniel Stolle

昨今の空の旅;ヒモ付きの旅客機イラスト:Daniel Cassaro (読者の投稿)  

地球の温暖化は現実だ(アル・ゴーア元米副大統領)写真合成:NYT

リーダーシップとレイトカルチャ(Leitkultur:ドイツ語で「国家の文化を導く」という意味)イラスト:Julia Hasting (註:『レイトカルチャ』は時に『国粋主義』に片寄り、他国の文化を排斥する傾向に走る危険性がある)

『いじめ』を無くす方法を考えようイラスト:Brian Cronin 
(註:『いじめ』は日本に限らず、世界共通の悩みのようだ)

『フットボール』の名において、暴力行為が正当化イラスト:Shane Harrison  (読者の投稿)

2010年12月24日金曜日

人魚にされた聖母マリア

[ 編集註:クレッシュ(crèche)の語源はフランス語で『キリスト生誕の情景』を指し、後に『託児所』『保育所』さらに『孤児院』などの意味にも使うようになった。しかしこの場合は、『キリストが生誕した馬小屋』の情景、置物、絵画だけに止めておく。

また、メイジャイ(Magi)は、キリスト降誕を祝しに東方から来た三人の賢者。]


モゥリィン・ダウド(Maureen Dowd)
12月21日付け、NYTの随筆から

ワシントン発:去年のクリスマス、私はあることでびっくりさせられた。

私の兄、ケヴィン(Kevin)クレッシュの数々を収集していることを知ったからである。それらは、暖炉の上に、食卓に、カウンターに、芝生に、押し入れに、など家の内外至る所に全部で17個が置かれていた。その中には、私たちが子供だった頃、母が暖炉の上に飾っていたささやかなプラスチック製の『馬小屋』も混じっていた。


それらを見て私はひどく混乱してしまった。セールスマンである私の兄ケヴィンは、異教徒や一般的な祝日行事に抵抗を感じている『クリスマス』という名に狂信的な信奉者だったことは知っていた。


私は十代の頃、怪奇小説『ガラスの動物たち(The Glass Menagerie)』を読んで恐怖心にかられた記憶のせいかも知れない。でも本やレコードの話は別にして、人形や動物の置物は何やらうす気味が悪い。私の姉が集めていた道化師やドンキホーテは見るのも嫌だった。年長の従姉妹が収集していた陶製の赤ん坊などに至っては吐き気をもうよおした。

兄のケヴィンが、何だってクレッシュを大事にしているのか気が知れない。多分、死んだ母を偲んでいるのかも。それとも、育った頃に通った教会に忠実な思い出があるのかも知れない。

兄が子供だった頃、羊飼いのセント・ジョセフ(St. Josephs)三人の賢者たちを活劇の登場人物と見立てていたようだ。ケヴィンに言わせると「羊飼いは羊を戦いの武器にしていたのさ」と面白そうに笑う。


それと思い出すのは、ある年、前庭に飾ってあった生誕シーンから羊飼いのセント・ジョセフの人形が盗まれ、兄は「なんでキリストの養父が新約聖書から突然姿を消しちまったんだ」とブツクサ腹を立てていたことがあった。


あの時の埋め合わせにセント・ジョセフを家中に飾り立て、おまけに3人の息子たちをセント・ジョセフという名の大学へ入学させたのだろうか?(下の写真はインド製、金属とライン石を使っている。)


またある11月の週末、兄はニューヘィブン(New Haven:コネチカット州)で開かれるクレッシュ友の会(the Friends of the Crèche)』の年次総会に招待されているけど、お前も一緒に行かないか、と誘われた。私は、世の中にそれほどの生誕の馬小屋マニアがいるのかと奇妙に思いながらもついて行った。

ナイト・オブ・コロンバス(the Knights of Columbus)に展示されたクレッシュの数々を観覧中、私たちは大勢の収集家たちに出会った。そのクレッシュの数は300、あるいは600点もあったであろうか、殆どが家を建て増して馬小屋のようなもを展示していた。

ケヴィンは展示を見ながら、自分の収集がたった17点というのに引け目を感じ始めていたようだ。


ケンタッキー州オウエンスボーロー(Owensboro)から来たというボニー・サネスティル(Bonnie Psanenstiel)という体格の良い52才の看護婦が私に話したところによると、彼女のクレッシュ収集は500点余り、それを納めた一部屋を生誕の祈祷室と名付けていながら「私は余り信心深くありません」と言っていた。


ボニーの最初の収集は、オリーブからの手彫りで、高校時代に、子守りや掃除婦のアルバイトをしながらモロッコで4年間過ごしていた時に手に入れたものだそうだ。

彼女が一番心に深く残っているクレッシュは、ボランティアとして婦女暴行の犠牲者の援助指導を手伝っていた時、担当していた女性から頂いたものだそうだ。「私とその女性はミシシッピー川を眺めながら、ただ世間話をしていたのです。その間、その女性はゆっくりと足下の粘土をすくい取っては人形を作り始めました。最後にクレッシュにまとめて私にくれたのです」と、思い出しながら涙を浮かべていた。(上の写真はエピソードとは関係ないエスキモー判、粘土製)

ボニーは、生誕新生に通じると信じている。


(この後、神父を含む収集家数人とのインタビューが述べられているが、省略)

私はこうした狂信者(強信者?)たちに歯向かって論争する気はなくなった。その挙げ句に私は、ケープ・コッド(Cape Cod)クレッシュを買い求めた。それはマサチューセッツ州サウス・チャザム(South Chatham)から来たナザニエル・ウオーデル(Nathaniel Wordell)が創ったもので、聖母マリアは人魚、赤子のキリストは縞模様のビーチ・タオルに包まれ、三賢者はカニ、ワニ、それにタツノオトシゴ。その他の家畜はカエル、カメ、ヒトデなどとなっている。(上の写真)

残念ながら、私の買い物で兄との信条の違和感を縮めることはできなかった。不快そうな面持ちで私のクレッシュを眺めていたケヴィン「聖母マリアに尻尾をつけるなんて、神を汚すにもほどがある。」

2010年12月16日木曜日

今年の漢字は「暑」い

毎日新聞、12月17日刊から

日本漢字能力検定協会(京都市)は10日、この1年の世相を反映した『今年の漢字』が選ばれたと発表した。今夏の記録的な猛暑が主な理由。同市東山区の清水寺で恒例の発表セレモニーがあり、森清範貫主(かんす)が大型の和紙に力強く揮毫(きごう)した。

はがきなどで過去最多の28万5406票の応募があり、1位のは1万4537票を集めた。2位は尖閣諸島の領有権を巡って外交摩擦が生じた中国の『中』、3位は不安定な政治や気候を反映した『不』だった。


森貫主「体調を崩す人もおり、暑さに苦慮した年だった」と振り返った。和紙は大みそかまで本堂で公開する。【熊谷豪;撮影は2010年12月10日午後2時すぎ、望月亮一


憂楽帳から一言、二言
私が所属する、新聞のニュースの扱いや見出しなどを決める編集者の忘年会。出し物企画は「今年の漢字を当てよう」。日本漢字能力検定協会(京都市)が選ぶ一字を予想するもので、国内外のニュースに毎日幅広く接していると自負する面々だが、今年を象徴する一字となると難しい。

もっともらしい理由を添えて集まった中で、一番多かったのは『流』。尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件での映像やウィキリークスによる公電暴露など 「流出」が目立ったというのが挙げられた。続いての『高』は、円高▽気温が高い▽高齢者の所在不明続々▽バンクーバー五輪で「高」橋大輔選手が銅メダル -----などと掛け合わせたもの。そのほか『鬱(うつ)』(新常用漢字)、『隠』(大阪地検特捜部隠蔽(いんぺい)事件)などと多彩な一字が躍った。


ただ、協会が発表した『暑』と書いたのは上司の一人だけ。2位の『中』、3位の『不』も応募はゼロで完敗だった。賞品の年末ジャンボ宝くじ33枚を手にし損ねた敗者の共通の言い訳は「ひねりすぎた」。来年は誰もが分かる明るい一字でありますように。【松久英子】


JA Circle から追加
今年は、暑いばかりが災難ではなかった。世界各地で大洪、大災、大寒波で大、大、大地、それに海中田が洩れて環境の大破壊、科学者は口々に、回復にはこの先何年もかかると悲観的だ。

森清範貫主が以上6文字を追加して揮毫した、という本当のような嘘の話。

2010年12月13日月曜日

国がどんどん増える!

今、この地球上の世界に幾つ国が存在するかご存知だろうか。

2008年の2月現在で195カ国、その半分以上の103カ国は1960年以降に誕生または再建復興した国だ、と言われてもピンとこない。 それ以前の92カ国の名前を知っているかどうかも疑わしい。

それはとも角、以下1960年以降に生まれた国を年代順に列記した。どう発音したらよいか判らない国名があるので、全てローマ字のままにしておいたのでご容赦いただきたい。出典はNational Geographic maps; U.S. Department of State country background reports; Online CIA Factbook; Federal Research Division, Library of Congress Country Studiesの調査データによる。


1. Cameroon: 1960/1/1
2. Senegal; 1960/4/4

3. Togo; 1960/4/27

4. Madagascar; 1960/6/26

5. Democratic Republic of the Congo; 1960/6/30

6. Somalia; 1960/7/1
7. Benin; 1960/8/1
8. Niger; 1960/8/3

9. Burkina Faso; 1960/8/5

10. Cõte d'lvoire; 1960/8/7

11. Chad; 1960/8/11
12. Central African Republic; 1960/8/13

13. Congo; 1960/8/15

14. Cyprus; 1960/8/16

15. Gabon; 1960/8/17

16. Mali; 1960/9/22

17. Nigeria; 1960/10/1

18. Mauritania; 1960/11/28

19. Sierra Leone; 1961/4/27

20. Kuwait; 1961/6/19
21. Samoa; 1962/1/1
22. Burundi; 1962/7/1

23. Rwanda; 1962/7/1
24. Algeria; 1962/7/5
25. Jamaica; 1962/8/6

26. Trinidad and Tobago; 1962/8/31
27. Uganda; 1962/10/9

28. Kenya; 1963/12/12

29. Tanzania; 1964/4/26
30. Malawi; 1964/7/6

31. Malta; 1964/9/21

32. Zambia; 1964/10/24

33. Gambia; 1965/2/18
34. Singapore; 1965/8/9

35. Guyana; 1966/5/26

36. Botswana; 1966/9/30
37. Lesotho; 1966/10/4

38. Barbados; 1966/11/30

39. Nauru; 1968/1/31

40. Mauritius; 1968/3/12

41. Swaziland; 1968/9/6

42. Equatorial Guinea; 1968/10/12

43. Tonga; 1970/6/4

44. Fiji Island; 1970/10/10
45. Bahrain; 1971/8/15

46. Qatar; 1971/9/3

47. United Arab Emirates; 1971/12/2
48. Bangladesh; 1971/12/16

49. Bahamas; 1973/7/10

50. Guinea Bissau; 1973/9/24

51. Grenada; 1974/2/7
52. Mozambique; 1975/6/25

53. Cape Verde; 1975/7/5
54. Comoros; 1975/7/6

55. São Tome and Principé; 1975/7/12

56. Papua New Guinea; 1975/9/15

57. Angola; 1975/11/11
58. Suriname; 1975/11/25

59. Seychelles; 1976/6/29

60. Djibouti; 1977/6/27

61. Solomon Islands; 1978/7/7

62. Tuvalu; 1978/10/1

63. Dominica; 1978/11/3

64. St. Lucia; 1979/2/22

65. Kiribati; 1979/6/12

66. St.Vincent and the Grenadines; 1979/10/27

67. Zimbabwe; 1980/4/18
68. Vanuatu; 1980/7/30

69. Belize; 1981/9/21

70. Antigua and Barbuda; 1981/11/1

71. St. Kitts and Nevis; 1983/9/16
72. Brunei; 1984/1/1

73. Marshall Islands; 1986/10/21

74. Federated States of Micronesia; 1986/11/3

75. Lithuania; 1990/3/11
76. Namibia; 1990/3/21

77. Yemen; 1990/5/22

78. Georgia; 1991/4/9

79. Slovenia; 1991/6/25

80. Croatia; 1991/6/25
81. Estonia; 1991/8/20

82. Latvia; 1991/8/21

83. Ukraine; 1991/8/24

84. Russia; 1991/8/24
85. Belarus; 1991/8/25
86. Moldova; 1991/8/27
87. Azerbaijan; 1991/8/30
88. Kyrgyzstan; 1991/8/31

89. Uzbekistan; 1991/9/1
90. Macedonia; 1991/9/8

91. Tajikistan; 1991/9/9

92. Armenia; 1991/9/21

93. Turkmenistan; 1991/10/27

94. Kazakhstan; 1991/12/16

95. Bosnia and Herzegovina; 1992/3/1

96. Slovakia; 1993/1/1
97. Czech Republic; 1993/1/1

98. Eritrea; 1993/8/24
99. Palau; 1994/10/1

100. Timor-Leste; 2002/5/20

101. Serbia; 2006/5/21

102. Montenegro; 2006/6/3

103. Kosovo; 2008/2/17

2010年12月10日金曜日

『落書き(グラフィティ)』という名のアート


落書き』、『イタズラ描き』、『落首、洋の東西を問わず巷の壁や電柱などに出現する。便所内に残された下品な『イタズラ描き』から、三十一文字(みそひともじ)狂歌にいたるまで、全てに共通しているのは作者が不明であることだ。

狂歌の『落首』にはしばしば奇知に富んだ傑作がある。豊臣時代、太閤が頻繁に四国へ出向き、その都度大阪人は生活が中断されて迷惑した。公に発言すれば刑罰は必定だった。そこである日、誰かが狂歌を壁に貼った。曰く「太閤が四石(四国)の米を買い兼ねて、今日も五斗買い(ご渡海)明日も五斗買い」

ペリー提督が4隻の黒船を率いて日本開港を迫った。時の徳川幕府は、開港か攘夷か決断が付かず苦悩していた。堪り兼ねた一市民が狂歌を貼った。曰く「泰平の眠りを覚ます上喜撰(高級茶を蒸気船にかけた)たった四杯(四隻)で夜も眠れず」



話は飛ぶ。1965年から1971年まで私はニューヨークで働いていた。到着当時、世界博が開かれていたフラッシング(Flushing)という町のアパートに居を定めた。そこを選んだ最大の理由は、地下鉄が他の路線に比べて新しくピカピカのアルミ製(ジュラルミン)で、地下鉄と言ってもマンハッタンからイースト・リバーの川底を潜り抜けると直ぐに高架線になり、窓から景色が眺められたし、終点から終点まで、というのが気楽だったからである。

1971年に、私はふとした理由でロアンゼルスに移転した。そして1年経ったある日、私はニューヨークの本社から救援作戦に呼び出された。半ば休暇気分で妻子を連れてニューヨークを訪れた私は、先ず電車のあちらこちらに描かれたグラフィティ(graffiti)に驚かされた。それは以前のニューヨークの記憶にはなかった現象で、私を言いようのない暗澹たる気分にした。一つには描かれた言葉が意味不明だったことと、その袋文字がコミック・ブックのように鬼気迫る脅迫的なエネルギーを持っていたからである。

さよう、ニューヨークのグラフィティは、1971年と1972年の間に勃興した『モノ言えぬ大衆』の爆発的な発言の象徴であった。彼らは、怪盗の如く、忍者の如く神出鬼没(しんしゅつきぼつ)、多分人気(ひとけ)のない夜の闇にまぎれて町を駆け巡り、ビルの壁に、橋桁に、電柱に、車庫入りの電車やバスの内外に、描きまくった。公共物を汚す行為は刑事犯罪だ。彼らは捕まらぬようスピード第一と、筆もパレットも要らないスプレー・ペイント(左の写真)を専ら利用した。

正しく言えば、グラフィティという行為は今に始まったことではなく、1920年代から1930年代頃の昔からヤンキー・スタジアム(The Yankee Stadium)などに残っていて、それなりに好事家たちが記録して集めている。

それから10年、私が再びニューヨークへ舞い戻った1982年、グラフィティは既に街中を覆っていた。初めてグラフィティを見た時ほどの嫌悪感こそなかったが、受け入れる気持ちは更に起こらなかった。

あたかもニューヨークはエド・カッチ市長(Ed. Koch:右の写真)の管理時代、腹に据えかねたカッチは、市の浄化運動に積極的に乗り出した。市の職員がグラフィティの消去に当たると同時に、捕まった彼らも消去作業で罪の償いをさせられた。私の記憶はそこで中断しているので、以下、ニューヨーク・タイムズのランディ・ケネディ(Randy Kennedy)の記事にバトンを譲る。

ランディ・ケネディ(Randy Kennedy)探訪
撮影: Robert Wright, Henry Chalfant  

カッチ市長の浄化時代の名残りが、今でもブルックリン、ゴワナス・カナル(Gowanus Canal:上の写真)の傍らにに遺されてている。(写真下はその部分)レンガ建ての持ち主が承認したので、このグラフィティは犯罪の対象にはならず、消去を免れて修復された。

この上塗りされたジョアン・オブ・アーク(日本では仏名ジャンヌ・ダルクで通っている)は、1980年代に暗躍したグラフィティ画家が描いたハンド・オブ・ドゥーム("Hand of Doom"「破滅的運命の手」下の写真;電車1車両分の側面)』のスタイルを踏襲している。作者の名はシーン(Seen)としか判っていない。

作者の意図には、歴史的に二つの要素が基盤となっている。先ず第一に、グラフィティ勃興の初期、ニューヨークという地域社会から発生したアートの形体を賛美する姿勢が読み取れる。第二に、地域の教育事情が貧困で、先生も生徒もあらゆる悩みを抱え悶々としている実情の顕われでもある。

ブルックリン、サンセット・パーク(the Sunset Park)近辺に修復された作品。作者の名は通称ブレード(Blade)、それはプラトー(Plato)の名に置き換えられた。

ブレードが1980年、車両一台の側面に描いた原作。

ブッシュウイック(Bushwick)にある喫茶店の横に描かれたグラフィティ。1980年に活躍した通称ドンディ(Dondi)の作品を改作。署名はガンジー(Gandhi)の名に置き換えられた。

これも墓場の子供達("Children of the Grave")』と題されたドンディの作品。

マンハッタン南部東側の屋上でイン・ザ・ビギニング(In the Beginning)』と題した作品を制作中のグラフィティ作家。 

こうしたグラフィティの主立ったものを集めニューヨーク市の歴史として記録し発表しようとする気運が見えている。中には、地下鉄のグラフィティだけを集める企画も進んでいるようだ。社会的な名声を獲得している第一線の美術家たちの作品とは創作意欲の源点が根本的に異なっているが、それなりに回顧的な価値が認められ、副次文化への渇望もある。作家の側にも、既成の権威に反抗する態度が明白に存在している。

32才になる往年のグラフィティ作家の一人は
グラフィティは、十代の少年がする悪戯です。親父のようにはなりたくない、皆と同じ事はしたくない、なんて力んでいる内に、いつの間にか自分がその親父になってるんです」と複雑な面持ち。そう突っ張っていながら、彼は10人ほどの仲間と同好会を作っている。かつて『暗躍した画家』らしく、姓名は公表したがらない。警察を恐れているからではない。自ら『(社会の)奴隷』みたいな集団だと自認し、自己顕示を避け、密かな『悪戯描き』行為に没頭していたいからだ。

その32才作家は、フィラデルフィアの西区域の商業地区に壁画を描いている、スチーブ・パワーズ(Steve Powers)という作家の制作態度に大きな影響を受けた。パワーズの壁画が沿道の高架線を走る電車の窓からよく見える位置に並んでいるのが魅力だ。


32才作家は、今では教職にあり、しばしば問題児を抱え、その矯正に努力ている。彼の説明によると、グラフィティ作家がジャンヌ・ダルクとかキリストを題材として選んだのは、自己を犠牲にしてでも庶民を救おうとした行為に感動、あるいは憧憬しているからだそうだ。

また、終局的な計画として、現存の
グラフィティ100点を選び、ポスターにして販売し、その売り上げの10パーセントを国立乳ガン基金(The National Breast Cancer Foundation)に献金したい、という夢もある。

写真家でその道の歴史家でもあるのヘンリー・シャルハン(
Henry Chalfant )もこの計画に賛同し「素晴らしい計画です。無名の作家たちの肩にかかっていた過去の汚名を返上し、社会福祉の貢献ができる最上の機会でもあります」と意気込んでいる。

2010年12月6日月曜日

生命の要素に異変あり!

2010年12月2日付け、NYTより抜粋

人間に限らず、生命を保つためには6ツの元素が欠かせない、とされてきた。その6ツとは、炭素(carbon)、酸素(oxygen)、窒素(nitrogen)、水素(hydrogen)、硫黄(sulfur)、そしてここで問題になってるリン(Phosphorus)である。

連鎖状のリンはDNAとその化学結合の背骨に相当する。特に生体的エネルギーを備蓄するためのアデニン(核酸塩基の一つ)トライフォスフォラスが含まれている微分子の中にある。例えれば、バッテリーが蓄えている化学的エネルギーのようなものだ。その生体的エネルギーは摂氏160度以上の熱でなければ分壊しない。

米航空宇宙局NASA(National Aeronautics and Space Administration)、宇宙生体学の一員で、カリフォルニア州メンロー・パーク(Menlo Park)アメリカ地質学調査部門(the United States Geological Survey)で働いていたフェリサ・ウォルフ・サイモン(Felisa Wolfe-Simon:上の写真)女史と同僚たちが、同州で塩分やアルカリ性が高く毒性(arsenic)が強いモノ湖(Mono Lake)の湖底からバクテリアを掬い取り研究室へ持ち帰り試験管に入れておいた。

その後ウォルフ・サイモン女史は、試験管内のバクテリアは次第に弱まり、いずれは死に絶えてしまうであろうと予想しながら、日毎にその試験管を観察していたが、予想に反し毒性のリン液の中でバクテリアは約60パーセントも大きく成長した。女史は「生体化学者としては納得のいかない出来ごとでした」と首をかしげた。

左は通常のバクテリア。右は毒性リンで育った空洞のバクテリア。(100万倍の電子顕微鏡で)

いずれも単一の微生物。放射能探知機でリンとその毒性を検索。

左は通常のバクテリアのリン含有量を検出。右の有毒育ちにはリンが殆ど無い。

左の通常のバクテリアにも、少量の毒がある。右の毒性育ちからは多量の毒を検出。

この放射性をもつバクテリアGFAJ族の1号(GFAJ-1)と名付けられた。 その実験を主導しているウォルフ・サイモン女史は「これは我々と異なった環境で如何に生きるかという微生物です。つまり、従来の『生命を保つ要素』に関する我々の固定観念の扉を開放したことになります」と言う。

このニュースは日本へも直ちにもたらされ、朝日の天声人語や毎日の余録も取り上げていたので、その抜粋をご紹介する。

[共同通信]
(一部、以下原文のまま) 現在知られているものとは異なる基本要素で生命が存在する可能性を示すもので、生命の誕生、進化の謎に迫る発見といえそうだ。専門家らは生命を構成するのが6元素であることを前提に地球外の生命探しを進めているが、研究グループは「どのような物質を追跡の対象にするか、より真剣に考えなければならない」と指摘している。

研究グループは、米カリフォルニア州にあるヒ素濃度の高い塩水湖『モノ湖』に生息する『GFAJ-1』という細菌に着目。ヒ素が多く、リンが少ない 培養液で培養すると、リンが多い培養液より成長は遅くなるものの、細胞数が6日間で20倍以上に増え、GFAJ-1はヒ素を取り込んで成長することを確認し た。

細胞内の変化を詳しく調べるとDNAやたんぱく質、脂質に含まれていたリンが、培養によってヒ素に置き換わっていた。リンとヒ素は化学的性質が似 ているため、このような現象が起きたと考えられるが、どのように置き換わるかや、置き換わった分子が細胞の中でどのように働くかは分からないとしてい る。

[
12月4日付け、余録 ] (前略、以下原文のまま)『そいつ』は電子顕微鏡で見ると不ぞろいな米粒みたいなやつである。だが驚くべきは姿ではない。地球上の普通の生物ならばリンから成る部分に、あの有毒なヒ素を用いて生命活動を行えるのだ。DNAの中のリンもヒ素に置き換えられる▲これもリンとヒ素が同族の元素で化学的性質が似ているからだと聞け ば、SFの宇宙生物を思い出す。『そいつ』こと細菌GFAJ-1は米航空宇宙局(NASA)が米国内の塩水湖で見つけた。それが示すのは地球と全く異なる環 境にも生命が存在する可能性である▲ちなみにヒ素は英語でアーセニックという。遠い未来、はるかかなたの宇宙で、人類が知性をもった『アーセニー』の声に 耳を傾ける時はやってくるのか。

[
12月5日、天声人語] (前略、以下原文のまま)そんな奇跡でも起きたかと、米航空宇宙局(NASA)の「重大発表」を待った人もいたようだ。なにせ『宇宙生物学上の発見について』と題されていた。 会見の前から『異星人の可能性』を報じた米国のテレビ局もあった▼ふたを開けると、猛毒のヒ素を食べる細菌の発見だった。米国の湖で見つかった。なーん だ、と思うなかれ。生命に必須のリンの代わりにヒ素を食べる。それは『生命には水が必須』といった常識も覆しかねない発見なのだそうだ▼つまり生命には、これまでの想定をはるかに超える柔軟性があるかもしれない。過酷な環境の星にも我々と異なるタイプの生命が存在する可能性がある、ということになるらしい (後略)