2009年12月28日月曜日

日本人の執着(こだわり)

[編集註:この記事は、あくまでも筆者の個人的な観察であり感想ですが、その底に日本人が気が付かない国民性を明快に指摘している部分があります。外国人の目に映った日本人批評を素直に理解してみてください。それから、文中に『おたく』という言葉が出てきますが『おたく仲間』とか『おたく族』など、新語として使われているようです。]

ロジャー・コーエン(Roger Cohen)
12月14日付けNYTの随筆から

東京発:私は日本(製)トレッドミル(乗ったベルトが廻り、屋内の定位置で走る運動ができる機械:右下の写真)に乗り、目の前の計器のスクリーンを見つめながら走り始めた。計器がスピードを示すのは勿論だが、食べ物や飲み物のイメージが現われ、その都度カロリーが表示されるのに思わず目を見張ってしまった。

私の歩行速度が早くなるにつれ、それによって消費されるカロリーとそれに匹敵する飲食物がスクリーンに現れる仕掛けである。35カロリーでクリーム付きのカプチノ、75カロリーでマグロの握り鮨2個、126カロリーでアイスクリーム・コーン、150カロリーでビール1杯、204カロリーで優雅なコップになみなみと日本酒、325カロリーでチーズケーキ、といった具合。カロリーが450に達した時、汗だらけの目に映ったものは、コロッケ夫人(a Croque Madame)が推奨する卵焼きがのったサンドイッチだった。その先何がスクリーンに現れるか、私の理解力が及ぶところではない。


今まで行った日本以外のジムでは、こんな度を過ぎた表示をする計器を見せつけられたことはなかった。私が奇妙に思うのは、こうした画像で示す飲食物は避けるべきだ、という暗示なのか、または運動が済んだ後で味わってみろ、という積もりなのか、それとも「苦あれば楽あり」の哲学をまざまざと見せてくれているのか、製造者の意図は測り兼ねる。そうでなければ、製造者は単に、ニューヨークのレストランで表示している例のカロリー計算表の類いとして組み込んだに過ぎないのだろうか?

これは私には納得がいかないことである。私が冷えたビールをゴクンと呑むとか、握り鮨を口に入れた時の舌ざわりを想像しながら遊び心に執着したスクリーン画面に見入っている自分自身に、何やら妙に日本人的になったような感じがしてしまう。これは、ビデオ・ゲームの画面に熱中して取り組んでいる世界中のガキ共のことを言っているのではない。少なくとも私の知っている範囲で、これほど幻想や現実逃避がコンピューターを通じて強烈に生活に溶け込んでいる国は見たことがない。


実際、日本語におたくという言葉があって、それは電子的なものとか、変わった趣味とか、漫画本とかに限らず、カミカゼから変態的なセックスに至るまで、あらゆる題材の何かに興味をもち偏執狂的に執着する傾向がある社会全体を意味する。


パトリック・スミス(Patrick Smith)はその著書日本:その再評価(Japan: A Reinterpretation)』の中で「おたくとは、私的な個人における最終的な言葉である。それは保護された自我を傷つける誰かを拒絶し、真っ当に親密な人間関係を築く能力がないことを認めることである」と解説している。 我々が、テクノロジーに刺激され、自己中心主義に凝り固まり、自分だけの世界に閉じこもって、コンピューター中毒
世界に溺れているおたくの一人一人になってしまう、という状況を考えてみるとよい。

私が思うに、この傾向を助長している四つの要因経済的な満足感(不況にも拘らず依然として残っている)、近代化の後遺症(ハイテクの負の面);全体的な慣習への順応性(大和民族の一員であることの安心感);無目標(無希望、絶望につながる)、などが考えられる。日本は経済的に豊か過ぎ、国家の目標と共に退屈過ぎ、(規則に)拘束され過ぎ、陰鬱過ぎているため、遊び半分の逃避主義や風変わりな執着(こだわり)に魅せられて夢中になるのだと思う。

確かに日本は経済的に恵まれている。かれこれ20年前に大きなバブルが崩壊して以来、デフレの不況にありながら、実際には日本で個人資産の総額は約1468兆円(約16兆ドル)と、世界で二番目の高額水準を示している。その額は、経済恐慌に対処するに充分であるが、その一方、且つては予測できた(安定した)雇用関係が崩れかかってきている。


また、日本は少し停滞している。大日本会社(Japan Inc.)』が発展途上にあり、東京のアメリカ領事館でマイク・マンスフィールド(Mike Mansfield)が駐日大使だった頃は「日米は相互に障害なく世界で最も重要な結束関係にあり、、、」と言明でき、日本が(経済的に)アメリカを乗っ取るのではないかという危惧さえあった。今やそれは昔話となり、中国経済が脅威となっている時代である。


言い換えると、日本は近代化が終って、ヨーロッパの条件を受け入れるアジアの窓口という沈滞期に陥り、世界で不安定な地域の一つとなった。私が三井物産の幹部コヤマ・オサム氏に「遠からず中国が世界第二の経済大国になるであろう」という話をしたら、彼は「それは構いません。我々は皆さんによく話すのですが、日本は且つてドイツを追い越して世界第二位の経済大国になったのですが、それによって得たものはありませんでした。我々の地位は下がりつつあります」と答えた。


数々の出来ごとが、新たな無関心さを日本企業の戦士たちに吹き込んでいる。その無関心さは蔓延した画一主義と共存している。日曜毎に宮城周辺が通行止めになると、当然自動車は走っていない。にも拘らず歩行者は赤信号が青に変わって歩行のサインがでるまで横断歩道を渡らずに待っている。人々の笑い方まで画一的で、壁が笑っているみたいだ。

最後に、陰鬱ムードは国家的な現象のようだ。最近、半世紀に亘る自民党の政権独占に終わりを告げ、鳩山由紀夫民主党が当選したにも拘らず、誰も私に、日本の、そして日本企業の雇用問題の最悪時期はもう過ぎて景気が回復する、などとは言わない。鳩山首相は新時代を友愛の時代と呼んでいた。また彼は、アジア諸国が日本の自己的な主流から脱する新勢力になることについて語っている。だが、その姿勢に国民は感激の色を示していないようだ。


ではこうした、野心(将来の希望)が限られて心地よい完全主義社会に残された道おたく』的
逃避であり、点心料理がトレッドミルの画面に出てくるような『くたびれ儲け』の運動中に私が発見したゲームであるのだ。「一体、この食い物が何だというんだ?」私がたまりかねて隣の機械を使っていた男に聞いた。彼は即座に「そんなものは食うな、ってことさ」と答えた。

その『彼』とはニューヨークの弁護士で、オノ・ヨーコの代理人だった。私が彼に振り向いたら、当のヨーコがトレーナーの手を借りて背伸びの運動をしている所だった。彼女の微笑みは絵のように穏やかだった。

愛さえあればよい(ビートルズのヒット曲『All You Need Is Love』から)友愛さえあればよい-----特にエレクトロニックに執着し、人間性を孤立させている日本には、それさえあればよい

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

『閉じこもり』の話をよく聞きますが、これもコンピューター中毒の世界で溺れかかっている近代病でしょうか。次代をになうべき若い人々が野心をもてなくなる世の中は病的です。