2009年8月6日木曜日

猥褻(わいせつ)か文学か?

高橋 経

今から半世紀前、1959年(昭和34年)、D.H.ロウレンス(D. H. Lawrence)が書いたチャタレー夫人の恋人(Lady Chatterley's Lover』が猥褻(わいせつ)本であるか否かで問題になり法廷で争うことになった。猥褻と断定されれば発売禁止、文芸作品と認められれば堂々と販売できる。出版社としては死活の瀬戸際である。読者としては、どちらでも構わないから一刻も早く入手して読みたい好奇心に駆り立てられていた。

それから更に15年以上遡る軍国時代には、猥褻はおろか、男女の恋物語までがその筋の検閲に引っ掛かり『伏せ字』や発禁の憂き目に遭っていた。例えば古典の名作『千一夜物語り』ですら、ラブシーンの件へくると数行が、時には数ページが「xxxxxxxx」となっていて本文は想像の彼方に消え去っていたものだ。

1945年(昭和20年)戦争に敗れ、アメリカの自由思想が移入され、その内の『言論の自由』が拡大解釈され、それまで抑圧されていた『男女の性』に関する話題が堰を切ったように新聞雑誌に溢れた。では何故その戦後14年も経った時代に『チャタレー夫人の恋人』発行の是非に関して法廷で裁かれることになったのだろうか?それは、その直前にアメリカで同書が裁判沙汰になったことが引き金になったことと「猥褻か芸術か?」を討論する以前に、日本独特の性風俗軽犯罪法が適用されたようだ。

あらすじ
所はイギリス、時は1917年(大正6年)、若いコンスタンス(Constance)は貴族
クリフォード・チャタレー(Clifford Chatterley)と結婚、間もなくクリフォードは戦争に、負傷して帰国、回復したが下半身不随で車椅子の生活、妻のコンスタンスとは夫婦の営みはなくなった。クリフォードは家系を守るため跡継ぎが必要、同じ貴族なら他の男性とでもよいから妻に子供を生んでもらいたいと願う。コンスタンスは夫の望みにためらっていたが、思わぬことから領地内の雇い人メラーズ(Mellors)と深い恋に陥る。身分の違いが二人の悩み。しかし共に愛は深く強く、コンスタンスは夫と離婚してメラーズとの新しい生活を夢みている。

ではアメリカでの事情はどうだったのであろうか?

(フレッド・カプラン[Fred Kaplan]が寄稿したニュ−ヨーク・タイムス7月20日付けの評論がその間の経緯をよく説明している。)

今から120年以上も遡る1873年(明治6年)、元郵便検閲官だったアンソニー・コムストック(Anthony Comstock)がニューヨーク悪徳抑制推進会を創設し、議会を説得し猥褻を犯罪と見なして罰することを立法化させた。その法は州や連邦の法廷で何十年もの間『地域の基本道徳』として「欲情に満ちた」「淫らな」「扇情的な」または「好色的な」文書を摘発してきた。

比較的近年、1957年(昭和32年)に最高裁判所は、猥本を通信販売していたロス某(Roth)の一件について「アメリカの改正憲法第一条の骨子である『言論の自由』は『猥褻』な本の販売には適用されない」という判決が下されている。従って、その2年後に起こった『チャタレー夫人の恋人』に対する訴訟は、それがどれほどの文学的価値があったとしても法的に定義された『猥褻』からは避けられまいと考えられていた。 そもそも『チャタレー夫人の恋人』は1928年(昭和3年)に初版が発行されて以来、イタリア版や闇(やみ)出版を除き、本国のイギリスでは1960年まで禁止され続けていた。

1959年5月15日、アメリカでグローブ出版社(Glove Press)が「削除なし」の『チャタレー夫人の恋人』を出版し、発行人のバーニー・ロセット(Barney Rosset)は弁護士チャールス・レムバー(Charles Rembar)を雇い、郵便局を相手取って訴訟を起したのである。レムバーは、『裸者と死者(The Naked and the Dead)』を書いた作家ノーマン・メィラー(Norman Mailer)の従兄で、相談役でもあった。先に訴訟で敗れたロス某の裁判記録を仔細に検討したレムバーは、判決文が『ざる法』で抜け道があることを発見した。裁判官ウイリアム・ブレナン(William J. Brennan)は憲法第一条『言論の自由』を引用し「全ての思想、仮に社会的重要性の貢献度が僅少でも-----例えば反正統思想、論議を起す思想、一般に浸透している考え方に反する思想など-----でも憲法によって全面的に保護される」とした上で更に「憲法第一条を歴史的に忠実に従うと、猥褻は社会的重要性の貢献度が全くないとして拒絶する」と述べていた。

レムバーは、その言葉を捉え、「『本』は猥褻の定義に該当するであろうが、同時に『社会的重要性に貢献』していることで憲法の保護が受けられる」と挑戦した。レムバーは一枚の白紙に一部が重なる二つの円を描き(下の図)一つの円は『好色の興味を起させる叙述』で、他の円は『社会に貢献する叙述』とし、両方の円が重なった部分だけが裁判官の言う『猥褻で無価値』な叙述であるという理由で『言論の自由』権を拒否されたのだとした。

その論理でレムバーは、ニューヨーク地方裁判所の判事フレデリック・ヴァン・ペルト・ブライアン(Frederick van Pelt Bryan)と論陣をを張り、『チャタレー夫人』で著者は、愛の無い性交、産業の機械化、病的な偽善、に対する痛切な批判をしているのだとした。

郵便局を代表するハザード・ギレスピィ(S. Hazard Gillespie Jr.)は、レムバーは法律を曲解している、と非難し反論した。 この反論はレムバーが望む所で、『チャタレー夫人』の社会的な批判精神を抹殺する行為に他ならないと巧みに反撃した。

1959年7月21日、判事ブライアンはグローブ出版社の訴えを全面的に支持し、郵便局の『猥褻本の拒否』法を解除させた。この判決はまた郵便局の法的な権威を撤去させたことにもなった。
しかし、これで全てめでたしという訳にもいかなかった。1960年代、郵便局のバーニー・ロセットは何件かの書籍の配達拒否で争った。その中にはウイリアム・バロウズ(William Burroughs)著『裸の昼食(Naked Lunch)』、ヘンリー・ミラー(Henry Miller)著『熱帯のキャンサー(Tropic of Cancer)』、他が槍玉に挙げられたが、いずれも敗訴した。

ともあれ、『チャタレー夫人』の一件が『言論の自由』を勝ち取り、憲法の原則を守ることに成功した重要な裁判であったとして歴史に残った。

その歴史的な勝訴の日から今年で50年、今改めて『チャタレー夫人』を読み返してみると、『猥褻感』は全くない。貴族社会の偽善に対する批判、機械化された産業に対する嫌悪、そして愛と自由への憧れ、が全編に溢れている。『猥褻』な筈の作品から猥褻が感じられないのは、この半世紀の間に『性』に対する社会の反応が鈍感になったせいでもあろう。法律は依然として変わっていないが、法廷の審判も世間の変化に反応して柔軟に変わっていくであろう。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

今の世の中は、『わいせつ』はおろか、暴力とセックスに溢れています。それも、対象年令がどんどん下がっているような気がします。憂慮に堪えません。