2009年8月25日火曜日

麻薬、ドラッグ、覚せい剤、その1

麻薬と私

高橋経(たかはし きょう)

麻薬が世界を蝕んでいる。
一口に麻薬と言うが、その種類はいろいろで作用や健康や精神に及ぼす影響も様々である。この記事では、その詳細はさて置いて麻薬が社会や個人に及ぼす害毒に焦点を当てるため、『麻薬』という言葉を総称として使わせていただく。ご存知とは思うが、アメリカでは薬一般を指す『ドラッグ』という同じ言葉が麻薬の総称になっている。

毎日見聞する新聞やテレビでの
麻薬に関する報道は世界中を覆って後を絶たず、その害毒は測り知れない。以下はそうした数々の報道から抜き取った見出しの一部。

★コスタ・リカから潜水艦で麻薬を輸送していた数人を逮捕。(右の写真)潜水艦は麻薬ごと押収。:(2007年:その潜水艦はフロリダ州の軍港に陳列されている。下の写真)

★世界的な
麻薬の消費で生産が落ちる(国連の報告):アフガニスタンでのアヘン(阿片)の生産が増産され、世界中で生産される麻薬の90パーセントを占める。一方、ヨーロッパでの麻薬の消費と、アフリカでの麻薬密輸販売が活発になっている。(2007年6月)

★医療を目的とした大麻の使用を合法化へ:州毎に合法化を可能にするため、オバマ政府の介入を避けようとする動きがある。(2009年4月)

麻薬法違反に問われて19年の禁固を宣告された男に執行猶予か?:被告の女友達が囚人の訪問を許可される可能性(2009年4月)

麻薬取り締まり強化でコロンビアの原住民に脅威(2009年4月)

★メキシコの
麻薬密輸ギャングの取り締まりから大量の殺人事件に発展:取り締まりに意欲を固めたメキシコ政府にオバマ大統領が協力体制を示す。(2009年5月)

★清純なイメージで売っていた女優某を覚せい剤法違反で逮捕:(日本、2009年8月)


幸いにして、今私の生活は麻薬とは全く関わりがない。しかし過去に麻薬と縁がなかった訳ではない。

東京が敗戦から立ち直り、復興し始めた1950年代、私は宣伝デザイナーとして独立していた。乱作で多忙を極め、しばしば徹夜の作業を余儀なくされていた。そんな時、黒木不具人(くろき ふぐと)と自称する悪友に覚せい剤を勧められた。覚せい剤と言っても、有名薬品会社が製造していた『ゼドリン』という気付け薬で、どこの薬局でも販売していた。ひたすらにその薬を飲んだが、疲れて眠い時には如何ともなし難く、目を開けていられなかった。黒木に「薬、飲んだのか?」と起されたので、その空き瓶を見せたら「お前、一瓶全部飲んじゃったのか!大変なことになるぞ」と狼狽した。その凄まじい狼狽ぶりを見て私は慌てたが、何故か何事も起こらなかった。


その黒木がある夜、東銀座の『馬車道』という深夜喫茶へ私を案内した。慣れているらしく、店には入らず脇の階段から屋根裏のような部屋に入っていった。そこにはマダムと覚しき中年の女性と若いハンサムな男が寝そべって『メイン』とか『静脈』とか言われる
麻薬の静脈注射の最中だった。彼らの腕の青い静脈には針を刺した穴による小さなかさぶたの点々が赤黒い線となり連なっていた。それを見て私は、黒木が店の表口から入らなかった理由を納得した。マダムは店の経営などお構いなしで麻薬の注射に耽っていたのだ。しばらく彼らが意味のない文学論を交わしているのを聞いていたが、次第に陰鬱な気分になってきたので機を見て引き揚げた。

それで
麻薬族とは縁が切れたと思ったていたが、ある日、神田に設定した私のスタジオに、森村と名乗る顔色の冴えない男が訪れてきた。『馬車道』のマダムに紹介された、と言い「何でも欲しいものがあったら一週間以内に探してあげる」と持ちかけてきた。まだモノが不足だった時代で、外国製の時計とかライター等の有名品は正規のルートでは手に入らなかった。「今のところ大体間に合っているから」と体よく断ったが、「それなら、、、」と言って「頭が冴えるイイ薬があります。いいえ、今日はお代は要りません。お気に召したら次に頂きます」と薬箱らしきものをチラつかせ、歌舞伎座に出入りし、名のある俳優たちがお得意客だとほのめかした。芸能界が麻薬で汚染しているとはかねがね聞いてはいたが、まさか誇り高き我が伝統芸能まで汚染しているとは信じられず暗澹たる気分にさせられた。幸か不幸か、その日の私は頭が冴えていたし、締め切り間際の仕事も抱えていなかったので「またいずれ」ということで売人(ばいにん)森村にはお引き取りを願った。

その後もチラチラと
麻薬の誘惑を受けたが「恐ろしい」というより「薬の力に頼る」ことに抵抗を感じて避け続けてきた。

数年後、風の噂によると『馬車道』のマダムは無一文となり路頭に迷った挙げ句行き倒れ、売人森村は麻薬取引きのいざこざでヤクザ仲間から刺し殺され黒木は31才の若さで麻薬中毒に加えてアルコール中毒の末期症状で焼酎を呑みながら入浴中に絶命した。いずれも人生の大切な意味に心を向けることなく、命と引き換えに束の間の陶酔に溺れていった連中だ。


あの時代から10数年経ち、私はニューヨークの会社でアート・ディレクターとして働いていた。コピーライターと協力して一つの宣伝物を作成するのが仕事である。そのライターの一人にヘイウッド(Haywood)という利発な男がいた。彼はある日「
麻薬は人間の創造力を刺激する」と言い、私に試してみろ、と誘いをかけてきた。私は即座に「もし君の言う通りクスリで素晴らしいアイデアが浮かぶのなら、それはクスリの功績であって君のアイデアではない。従って君の脳みそは空っぽで能無しだ」と激しく非難した。ヘイウッドを傷つける気持ちは毛頭なかった。むしろ私は彼の天性の才能を買っていたので麻薬から解放されてもらいたかった。

残念ながら、私の説得には耳をかさず、ヘイウッドは
麻薬に溺れ、会社から解雇され、噂でサンフランシスコの路上で宿無しの彼を見かけた、と聞いたのが最後だった。またそれが私にとって麻薬を誘われた最後でもあった。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

良い薬も悪い薬も薬は薬。人体は薬の副作用で傷つけられます。触らぬ神に祟り無し、です。