2009年5月27日水曜日

歩道がキャンバス:街の絵描きたち

歩道はロンドン、絵描きたちは(生憎)無名。でもアイデアと技術は抜群。 この歩道に描かれた様々なテーマは、ここ二、三年出回っていましたから、ご覧になった方もあるかとは思いますが、リバイバルでご紹介いたします。出所は不明ですが、最後に転送してくれたのがロンドンで映画スタジオを経営していた今は亡きローレンス・ハッチンス(Laurence Hutchins)でした。

先ず種明かしから。そうしないと、後の作品の『抜群性』が理解し難いからです。
歩道にチョークで描かれた大きな楕円は?これが『種明かし』です。この楕円を、歩道の左下手[しもて]の特定の地点から見ると、、、
、、、立体的な地球が見えるのです。その地球の頂点にいる(ように見える)人物は画家の一人です。

この後に続く作品は全て、上掲の地球と同様、平面の歩道に、計算された透視図法の歪みで描かれ、特定の地点からだけ立体に見えるものばかりです。言うまでもありませんが、歩道は一切破損されていません。以下、説明は省略いたします。画法をご想像ください。

砂金発見

特大コカコーラ瓶

南極でオットセイと戯れる

自画像とご対面(どちらが本人でしょうか?)

落し穴

ハエの怪物を殺した

歩道の下は?

スパイダーマン登場

歩道にプール建設

あわや! バットマンとロビンに救出される
以下数点省略

2009年5月26日火曜日

いじわるおばあちゃん

無題

解説は不要とは思いますが、念のため。

たった33秒のクリップです。最初のスケートボードの少年たちは無関係です。それを撮影していたカメラマンが、横断歩道で立ち眠りしているおばあちゃんに気が付き、カメラの焦点を合わせます。そこへ車が来て止まり、ドライバーはおばあちゃんを起して車道を渡らせようとクラクションを鳴らします。目が覚めたおばあちゃんは、横断し始めますが、クラクションの音が不愉快だったのでしょうか、持っていた買い物袋で車のバンパーを思い切り叩きます。エアバグが作動し、ドライバーはお先真っ暗、カメラに向かってゆっくり歩いてくるおばあちゃんの表情にご注目ください。
ジム・ロッジ(Jim Lodgeカリフォルニア)提供

2009年5月22日金曜日

メモリアル・デーに寄せて

アメリカの主要な祝日の一つメモリアル・デーは5月25日(月曜日)である。この祝日の主眼は、全国各地で行われる戦没者を記念する行事である。今年は不況のあおりを受けて大小の市町村では予算を切り詰め、パレードなども地味に抑えているようだ。

アメリカ『帝国主義』思想か?
日本だったら差し当たり『靖国神社参拝』、アメリカだったら首都ワシントンに近い『アーリングトン墓地の参詣』という所だが、戦没者を埋葬してあるアメリカン墓地は国内だけでなく、海外、特にヨーロッパに20カ所もあり夫々広大な敷地を確保している。その存在に対して、ヨーロッパで一部の反感を買っているようだ。墓地の設立についての解説は、このブログの末尾をご参照頂きたい。

それはそれとして『靖国』も含めて、国家が関わった戦争のために命を捧げた戦没者たちには、批判抜きに謹んで冥福を祈る。先ずは、その墓地を展望していただきたい。

資料はカリフォルニア在住のエドワード・マンサー(
Edward Manser)からの提供による。

1. フランス、Aisne-Marneのアメリカン墓地:2,289柱の戦没者を埋葬。

2. ベルギー、Ardennes のアメリカン墓地:5,329柱の戦没者を埋葬。

3. フランス、Brittany のアメリカン墓地:4,410柱の戦没者を埋葬。

4. イギリス、Brookwood のアメリカン墓地:468柱の戦没者を埋葬。

5. イギリス、Cambridge のアメリカン墓地:3,812柱の戦没者を埋葬。

6. フランス、Epinal のアメリカン墓地:5,525柱の戦没者を埋葬。

7. ベルギー、Flanders Field のアメリカン墓地:368柱の戦没者を埋葬。

8. イタリー、Florence のアメリカン墓地:4,402柱の戦没者を埋葬。

9. ベルギー、Henri-Chapelle のアメリカン墓地:368柱の戦没者を埋葬。

10. フランス、Lorraine のアメリカン墓地:10,489柱の戦没者を埋葬。

11. ルクセンブルグ、Luxembourg のアメリカン墓地:5,076柱の戦没者を埋葬。

12. フランス、Meuse-Argonne のアメリカン墓地:14,246柱の戦没者を埋葬。

13. ネーデルランド(オランダ)、Netherlands のアメリカン墓地:8,301柱の戦没者を埋葬。

14. フランス、Normandy のアメリカン墓地:9,387柱の戦没者を埋葬。

15. フランス、Oise-Aisne のアメリカン墓地:6,012柱の戦没者を埋葬。

16. フランス、Rhone のアメリカン墓地:861柱の戦没者を埋葬。

17. イタリー、Sicily のアメリカン墓地:7,861柱の戦没者を埋葬。

18. フランス、Somme のアメリカン墓地:1,844柱の戦没者を埋葬。

19. フランス、St. Mihiel のアメリカン墓地:4,153柱の戦没者を埋葬。

20. フランス、 Suresnes のアメリカン墓地:1,541柱の戦没者を埋葬。

21.  パナマ、Corozal のアメリカン墓地:5,364柱の戦没者その他を埋葬。

22. フィリッピン、Manila のアメリカン墓地:17,202柱の戦没者を埋葬。

23. メキシコ、Mexico City のアメリカン墓地:750柱の無名戦没者を埋葬。

24. 北アフリカ、Tunisia のアメリカン墓地:3,724柱の戦没者を埋葬。

総合計104,366柱がヨーロッパで埋葬、加えてパナマ、フィリッピン、メキシコ、および北アフリカでの埋葬合計は27
,040柱
それと別に、約4,962柱のイラク/アフガニスタンでの戦没者は含まれていない。

戦闘後、戦没者の氏名および死亡した時と場所を認定することは墓地登録事業部(the Grave Registration Services)の責務である。早急に屍体の処理埋葬をし、墓碑にしかるべき標識を刻むことが職員の業務となっている。その後日、時には戰線が遠方に移動した数ヶ月後、あるいは終戦後、遺体は中央墓地に移動される。

戦後、
遺族の望みがあれば、政府はアメリカ本土へ棺桶を運び、出身地に本埋葬する機会を与えてきた。一部の家族はこの機会を利用するが、他には辞退する家族もある。一例を挙げると、有名なジョージ・パットン(George Patton)将軍の場合は、本人の意志で、彼と共に戦って戦死した部下が埋葬されているヨーロッパの墓地内に埋葬された。

現在ノルマンディにある墓地は、連合軍がオマハ・ビーチに上陸した
1944年6月6日から2日後の8日に仮埋葬するために設置されたものである。それが後にアメリカン戦闘記念碑建設委員会(The American Battle Monuments CommissionーABMC)によって恒久的な墓地として指定された。同委員会は、アメリカ議会によってアメリカ軍隊の1917年以降の海外および国内での活動、その功労や達成などを顕彰するため、民法に基づいて1923年に創設された。

国外に設置された全てのアメリカン墓地は、アメリカ合衆国の国有財産として登記されているので、その一郭には常に星条旗が翻っている。 

同委員会の管理委員は、海外に設置された24カ所の恒久的アメリカン墓地の計画、運営に当たっている。現在124,913柱の戦没者が上記の墓地に埋葬されている。内訳は第一次世界大戦の戦没者30,921柱、第二次大戦の93,242柱、メキシコ戦争の750柱である。その別に、6,149柱のアメリカ将兵その他がメキシコ市とコロザル(Corozal)のアメリカン墓地に埋葬されている。4,295名(4,962?)のイラク/アフガンでの戦没者は上記の数字には含まれていない。

戦没者のことについてご興味がある方は、同委員会のウェブサイトを検索なさることをお勧めする。右をクリック: www.abmc.gov

同委員会の管理下にある墓地の所在地は下記の通り:

• Aisne-Marne, France • Ardennes, Belgium • Brittany, France • Brookwood, England
• Cambridge, England
• Corozal, Panama • Epinal, France • Flanders Field, Belgium
• Florence, Italy • Henri-Chapelle, Belgium • Lorraine, France • Luxembourg, Luxembourg
• Manila, Philippines •
Meuse-Argonne, France • Mexico City, Mexico
Netherlands, Netherlands • Normandy, France • North Africa, Tunisia • Oise-Aisne, France
Rhone, France • Sicily-Rome, Italy • Somme, France • St. Mihiel, France • Suresnes, France

2009年5月21日木曜日

森林火事の功罪と野鳥

ワーブラーが歌う季節
高橋 経(たかはし きょう)ミシガン州ロスコモン郡在住

カリフォルニア州で森林火事が猛威を振るっている。それも一度や二度ではない。昨年から今年にかけて、何千何万ヘクタールを焼き払い、そこに住む家屋を灰にし、数多の罹災者や死傷者を出した。乾燥し切った空気と、西海岸独特の風向きが火勢をあおった。一部で放火の疑いもあったが、樹木の摩擦や落雷で点火されるという避けられない天然現象も出火の原因となる。地上から、空から消防を試みたが、一度火勢を得ると人力では手の施しようもなくなる。おおむね、焼くものを焼き尽くした後で鎮火するのが過去の現実である。
これが森林火事の『罪』の面だが、一方で自然の摂理ともうべき『功』の面も見逃せない。今日はこの『功』の面に関連した話題を提供する。


我が家の近隣にカートランド(Kirtland 左の空からの写真)という名の地域がある。我がロスコモン郡、東隣のオゲモウ郡(Ogemaw)、東北隣のクロフォード郡(Crawford)、オスコダ郡(Oscoda)、の4郡にまたがって州が保護している広大な森林地帯がカートランドだ。[地図の黄緑部分がワーブラーの生息地]

そのカートランドを有名にしているのが毎年春から秋にかけて南から飛んできて生殖を営む渡り鳥ワーブラー(Warbler)の存在である。ワーブラーを辞書で引くと、『ムシクイ(虫食い)』という何とも味気のない名が出てくる。虫を食べて生きている鳥はスズメ、キツツキ、コマドリ等他にもいくらでもいるから固有名詞らしくない。更に大きな辞書で引いてみると、ウグイス科に属する、とあるので幾らか安心し、また形容詞的用法として「声をふるわせて、鳥がさえずるように歌う、、、」ともあるので、やっと納得させられた。左様、ワーブラーはその可愛いさえずり声で人々を魅了しているのである。

また、ワーブラーには数々の違った種族がある。我が家にも数々のワーブラーや野鳥が餌を求めて集まってくるが、そのカートランド・ワーブラーだけは寄り付いてこない。「たかが野鳥、されど野鳥」で、その疑問を解くべく、毎年5月半ばの土曜日、一日だけの行事カートランド・野鳥ワーブラー祭り(Kirtland's Warbler Wildlife Festival)』に参加してみて全ての疑問が氷解した。

カートランド・ワーブラーはその巣作り、生殖、子育てのための生活環境に極めて限定した条件を求めている。先ず巣はバンクス松(jack-pine)が密生した森の中であること、砂地であること、松の丈も若木で1.5メートルから4メートルまでで、大木の森は敬遠し、砂地も或る程度の湿気を必要とする。

この条件を満たすために時に天然の森林火事が過去には『功』の部分を
受け持ってきた。大木を焼き払い、焼けた松ボックリ[左の写真]が火事の熱ではぜ、焼け野原に種をまき散らし、新しい松が成長する、といった自然の摂理の循環が森羅万象を更新させてきた。

しかし州の保護機関、天然資源計画部門(Department of Natural Resources)としては
『罪』の面が大きい森林火事は避けるべきだと考え、火事の代わりに人為的な手段で林業業者に成長林を売り払って伐採、撤去させ、その跡地にバンクス松の苗木を植える、という作業を繰り返し、常に若い松林の一角を確保することを可能にしてきた。業者も安価に木材が入手でき、双方めでたしの解決策となった。[下左から:伐採倒木、運搬、苗木植えトラクター]

それというのも、カートランド・ワーブラーを恒久的に帰巣させたい一心からの努力である。どうやらこの労苦は報いられているようで、この愛すべき小鳥たちは毎年忘れずに帰ってくる。

雁(カリ)などの渡り鳥が想像を絶する長距離を毎年往復することは知られているが、カートランド・ワーブラーのような小鳥でも、同じような長距離を飛んでいる。夏から秋にかけてひな鳥が育って飛べるようになると、彼らは温暖な南へ旅立つ。目的地はミシガン州から4800キロ離れた南、フロリダ半島の南東に浮かぶバハマ諸島(Bahama Islands)である。冬から早春までそこで過ごし、晩春になると北に向かって旅立ち、5月の初めカートランドに到着して巣作りを始める、というのが彼らの年中行事である。

ワーブラーは巣を草むらや雑木の陰の地面に作るので、野鳥観察に訪れる人々が巣を踏みつける事態が生じないよう、一般の敷地内の歩行は禁止されている。

ワーブラーの生態を何気なく観察していると、「可愛い」とか「美しいさえずり声」の部分しか見えず、彼らが彼らなりの過酷な生存競争にさらされていることには気がつかない。鷲(ワシ)や鷹(タカ)など猛禽の餌食になることもあるだろうし、ムク
ドリ(cowbird)がワーブラーの巣に卵を産みつけ、それと気が付かないワーブラーが他人(?)の卵を孵した挙げ句、そのひな鳥に餌を運び、せっせと育てるという徒労を負わされることすらある。

それを知った天然資源計画部門の要員たちは、ムクドリを捕獲して追放する、という作業もカートランド・ワーブラーを保護するために必要な措置として計画に加えることにした。それは金網で囲った罠(わな)で、ムクドリはその中に置いてある餌を求めて入ってくるが、一旦入ると二度と表に出られない仕掛けになっている。[右の写真がわな、左が金網内部のムクドリたち]この罠で捕獲されるムクドリは年に数千羽というから、ワーブラーに育てられたムクドリのヒナの数も想像できるであろう。

以上がカートランド・ワーブラーに関して得た私の新知識だが、同時にこの世の中に野鳥を愛する人々が想像以上に大勢いること、そしてその野鳥を保護するために、可成りの予算が計上され多くの人々が日夜研究し働いていることも知らされた。充実した5月の土曜日ではあった。